さいたまんぞうは野球審判員?ヒットした「なぜか埼玉」はどんな歌?

4月19日放送の『爆報!THEフライデー』(TBS系列19:00~20:00)は、青春俳優・尾美としのりさんと超大物との因縁、大物作曲家の遺産相続問題、そしてあの人は今、が予定されています。

「あの人は今…」で追跡するのは、1981年に発売された『なぜか埼玉』が大ヒットした、「さいたまんぞう」さんです。

1980年代の曲なので、懐かしいと感じられる方が多いかもしれません。
しかし、現在では若い人の中にも「これ知ってる!」と感じられる方が増えているでしょう。

現在大ヒット公開中の映画『翔んで埼玉』は、埼玉県を強烈に”ディスった”内容が共感を呼んでます。
実は、さいたまんぞうさんの『なぜか埼玉』は、この『翔んで埼玉』の挿入歌として使用されているのです。

”埼玉ブーム”到来中となっている今、『爆報THEフライデー』ではさいたまんぞうさんを取り上げます。

さて、さいたまんぞうさんはどのような方なんでしょうか。ある時は歌手、ある時はタレント、そしてある時は野球審判、と複数の顔を持つさいたまんぞうさんは謎が多そうな人物です。

「さいたまんぞう」なのに、出身は岡山県久米郡…。え?
「さいたまんぞう」なのに、東京都中野区在住…。
「埼玉」はどこ?
本当は「斎田萬蔵」だったけど、サイン書きにくいから「さいたまんぞう」に…。
これは、分かる!

元祖一発屋歌手としても知られる、「さいたまんぞう」さんと『なぜか埼玉』について紹介したいと思います。

さいたまんぞうの現在の職業は野球審判員?

「さいたまんぞう」さんは、本名:牛房公夫(ごぼう きみお)さん、岡山県久米郡美咲町(旧・柵原町)の出身です。

1948年12月9日生まれで、現在70歳でいらっしゃいます。

本名知ると、もう埼玉感ゼロですね!「牛房(ごぼう)」さんという苗字、かなり珍しいですし、こちらのインパクトの方に驚きました。

さいたまんぞうさんは、元々は野球をやりたかったそうですが、家族から反対され諦めざる負えませんでした。
地元の関西高等学校野球部のセレクションに残れる実力があったので、さぞかし悔しかったことでしょう。

野球部のない高校に進み、アルバイトに打ち込んでいましたが、歌手の西郷輝彦さんのサクセスストーリーを耳にしました。

これに影響され、高校卒業後に上京してアマチュアバンドのドラマーになります。
GSブームにあった当時、バンドボーイとして渡辺プロダクションに所属していました。

GSバンド「アウト・キャスト」の付き人をした後、コーラス漫談グループの「スリートーンズ」に加入しましたが、1979年には解散してしまいました。

1980年に自主製作で販売した『なぜか埼玉』が、ニッポン放送『タモリのオールナイトニッポン』で取り上げられたことから火が付き、翌年にはメジャーデビューしました。

『なぜか埼玉』以降も、何曲かコミックソングをリリースします。
そして、TBSの情報番組『そこが知りたい』では「歌う駅員さん」として出演されました。

さいたまんぞうさんには、野球審判員としての顔もあります。
1979年から野球審判をはじめ、10年のブランクを挟み、30年のキャリアで5000試合以上を担当されてきたそうです。

人と会話をするのが苦手という、さいたまんぞうさんにとって、審判員の仕事は天職と語っています。

この審判員の経験を生かした、「審判パフォーマンス」がYou Tubeでも好評となっています。

ジャズの音楽に合わせ、試合を通した野球審判の動きをするという内容です。
音楽と正確な審判の動きが絶妙にシンクロして、とても面白いです。

野球好きなら、思わず笑ってしまう部分があったり、「審判あるある」的な部分もあります。
個人的には、かなり気に入りました。

『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「細かすぎて伝わらないモノマネ」や、『あらびき団』などに出演されればよかったのに、と感じました。

大ヒットした「なぜか埼玉」はどんな歌?

『なぜか埼玉』は、作詞作曲は秋川鮎舟さん、編曲小谷充さんらによって製作されました。

1980年に、ご当地レコードを製作していた先輩からの依頼で『なぜか埼玉』を歌ったそうです。
同時に芸名も、「斎田萬蔵」に変えました。

はじめは自主製作でした。
ニッポン放送『タモリのオールナイトニッポン』に、埼玉県の高校生が投稿し、人気コーナー「思想のない音楽界」で紹介されました。

ムード歌謡曲の曲調に、それっぽいけど全くのナンセンスな歌詞が乗っています。
そして、肝心の歌は抑揚もなく全然うまくない。
こうしたギャップが受けて、『なぜか埼玉』は評判になっていったそうです。

これを受けて、1981年にフォーライフ・レコードからメジャーデビューとなりました。
人気が出るとともに、サインを求められる機会も増えたそうです。
「斎田萬蔵」では画数が多くサインが書きにくいため、表記は「さいたまんぞう」に改められました。

「さいたまんぞう」さんは、『なぜか埼玉』をあまり快くは思っていません。
それは、ヒットの割には手元に入る印税が少なかったからだそうです。

「『なぜか埼玉』で儲かった記憶がない」。
こうこぼしています。

漫画『翔んで埼玉』が実写化される話を聞きつけたさいたまんぞうさんは、映画会社に『なぜか埼玉』の売り込みに行きました。

しかし、その必要はありませんでした。
『なぜか埼玉』は、『翔んで埼玉』の脚本段階ですでに挿入歌として使用されることが決まっていたからです。

さいたまんぞうは野球審判員?ヒットした「なぜか埼玉」はどんな歌?まとめ

「さいたまんぞう」さんは、歌手であり、コメディアンであり、野球審判員でもあります。

岡山県出身の「さいたまんぞう」さんは、上京してバンドボーイとしての下積み後、『なぜか埼玉』という曲でブレイクしました。

1979年から、野球審判員もされています。
10年間のブランクを挟み、キャリア30年で5000試合以上を担当していたそうです。

野球審判員の経験を活かし、審判の動きとジャズを組み合わせた「審判パフォーマンス」がYou Tubeでも評判になっています。

『なぜか埼玉』は、当初はご当地ソングの自主製作でした。
『タモリのオールナイトニッポン』で紹介されたことがきっかけとなり、1981年にメジャーデビュー、12万枚のヒットを記録しました。

『なぜか埼玉』は、現在大ヒット公開中の映画『翔んで埼玉』では挿入歌として使用されています。

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