4月30日に放送された『マツコの知らない世界』、「マネキンの世界」には63年間マネキンを作り続ける男・欠田誠さんと教え子の中村道彦さんがゲストでした。
しかし、世間は「平成最後!平成最後!」の連呼だというのに、「あんこの世界」と「マネキンの世界」ですからね。
ブレない心って大事ですね。
欠田誠(かけだ まこと)さんは、1934年生まれの現在84歳、東京都出身の男性です。
マネキンを作り続けて63年という大ベテランです。
平成最後の日に、マネキンを取り上げてくれたマツコの知らない世界様!ありがとう!
アパレル業界を支えている仕事です!
いろんな人に興味持ってもらえたら嬉しいなー!#マツコの知らない世界 #マネキン #トルソー pic.twitter.com/3BbUNBnmTJ— うみだぬき (@beaver_life_555) 2019年4月30日
京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)彫刻科を卒業され、1957年に七彩工芸(現・七彩)に入社されました。
1961年に二科展で二科銀賞を受賞し、1964年から1965まではインターナショナル・コッペリア社に招かれ、スペインでマネキンの原型製作に協力しました。
1970年には、目を開いたままの人体を型取る技術、FCRを開発。
それまでにない、リアルなマネキンの開発に成功しました。
1986年に七彩工芸を退職されるまで、数々の受賞歴があります。
薄々お気づきかもしれませんが、今回のゲスト・欠田誠さんは、かなりすごい方です。
ほぼマネキン界の生き字引と言っていいのではないでしょうか。
近年も、江戸川大学で非常勤講師をしたり、企業の人材育成に協力したりと、多岐に渡って活躍されています。
展示会や書籍の出版も行うなど、失礼ですが、『マツコの知らない世界』らしくないゲストかもしれません。
『プロフェッショナル~』とか、『情熱~』とかの方がふさわしいのではとも思えてしまいます。
「マツコの知らない世界 第182回」の「マネキンの世界」をオンデマンドで見た。バラエティだからあんなものだろうが出演された原型師、欠田誠氏は好々爺を演じていたが凄い人なんですけどね。#mactechlabhttps://t.co/FO0ZeKAftO pic.twitter.com/LJHzJ5IR7g
— Junichi Matsuda (@mactechlab) 2019年5月1日
『マツコの知らない世界』で紹介するマネキンの世界の番組放送内容は?
それでは、「マネキンの世界」を見ていきましょう。
意外と奥深いマネキンの世界
- 現在、マネキンの需要は徐々に減少している
- その理由はネット通販の普及
- 欠田さんは、これまで有名ブランドのマネキンを多数製作
- 海外でのマネキン製作の指導も数多く行ってきた
- まさに”マネキン界のレジェンド”
- 欠田さん達の仕事は、マネキンの原型を粘土で作る「原型師」
- 原型作りは、人の手で粘土を型に塗って、それから型を外して作られている
- それぞれの仕事の達人が関わってマネキンは作られている
マネキンって、プラスチックの型にはめてどんどん量産されていると思ってましたが、こんなに奥が深いものだったんですね。
ここで、欠田さんの教え子・中村道彦さんのプロフィールも紹介されました。
知らない世界に出てるマネキン原型師の中村さん、少し昭仁みがないですか…。40才….かわいいです!!!! pic.twitter.com/pwM34fAp2p
— yuki (@yunguper) 2019年4月30日
- 中村さんは、現在40歳
- 23歳の時に、マネキン製作会社「アップル」に入社
- 26歳の時に欠田さんと出会い、指導を受ける
- 現在200種類以上のマネキン原型を製作している
マツコさんは、「いや、変態ですよ十分」と、敬意をこめて言っていました。
中村さんと欠田さんの付き合いも15年近くになるんですね。
まず、いくつかのマネキンを紹介されていました。
目を開けたまま型を取ったマネキン
実際のモデルさんが目を開けたままの状態で、そのまま型を取ったマネキンです。
これは、もう複写ですね。
胸像タイプ
脚がないタイプのマネキンですが、それでも全身のしなやかな女性の雰囲気が出ています。
服を着せると、しっかりと全身のラインがきれいに出るように作られているんですね。
顔が大きめのしっかりしたマネキン
パーツも大きく、表情もしっかり作りこまれています。
スポーツマネキン
メンズブランドだと、Mサイズの制約があるそうです。
スポーツブランドになると制約がなくなり、筋肉がより強調された見た目になっています。
用途によってサイズやフォルムも変わるんですね。
大きく作り過ぎて、サイズダウンさせられたこともあるそうです。
- マネキンは時代を映す鏡
- 時代と共にマネキンも変化してきた
- 昔はマネキンを輸入していた
- そしてとても高価だった
- マネキンの修理ばかりしていたが退屈だった
- 日本でもマネキンを開発することに
- ファイバー紙製のマネキン開発に成功
- しかしそれでもまだ高価で、ちょっとした憧れに
- 高度経済成長期にプラスチック製が登場
- デパートにもマネキンが普及
- 昭和42年、ツイッギーの出現でマネキン革命が起こる
このマネキン革命が、欠田さんが作った、目を開けたまま型を取る技術・FCRだったんですね。
この技術は、岡本太郎さんも体験されたそうです。
さらに、あのダリに、ジェーン・バーキンもマネキンにしたそうです。
欠田さんが作ったマネキンをダリが買って行ったというエピソードもありました。
登場する人物もすごい人ばかりですね。
しかし、平成になるとファッションが多様化して、マネキンの需要は少なくなっていったそうです。
各年代のマネキンを紹介!
「マツコの知らない世界」がマネキンだったんだけど、マネキンの顔の歴史の平成25年代表が僕のキャラだった〜〜! ヤマトマネキンさんと作った5つのうちの一つ。びっくりしたー。 pic.twitter.com/UnHYsRsMhM
— 吉井宏 (@hiroshiyoshii) 2019年4月30日
昭和29~31年くらいのマネキンは、女優のオードリー・ヘップバーンやマリリン・モンローの容姿と要素を取り入れたマネキンが多く作られました。
一見して分かるような、具体的な人物のイメージが好まれたようです。
それに対して、昭和50~60年代、さらに平成になるにつれて、不特定多数を見せるような「抽象マネキン」が増えていきました。
馴染みがあるのは、「抽象マネキン」でした。
むしろ、あんなに具体的だったのは知りませんでした。
- 理想のスタイル
- 親近感のあるスタイル
- 老夫婦のシーンを演出
- 唇に20種類のカラーバリエーションがあるマネキン
そして、中村さんの作品も紹介されました。
それは、サイズを自由自在に変えられる、ハイテクでド派手なマネキンマシンでした。
このマネキンは、エクストリームスポーツのパルクールやヤマカシをイメージして作られたそうです。
主に、スポーツブランド向けだそうですが、横浜そごうではビジネススーツを着せて、スーツの伸縮性をアピールする目的で使用されています。
その写真も出たのですが、ビジネスとはかけ離れた、躍動感のあるポーズでした。
これなら、座ってもお尻が「バリっ」と破れる心配はなさそうです。
- 肩車した親子のマネキン
- ユニクロでは豊富な色をアピールするために大量のマネキンを展示している
- 109のお店では、アフリカ系モデルのナオミ・キャンベルをイメージしたマネキンを長年使用
ここで、マネキンのメイクもすごいという話に。
マツコさん風のメイクを施したマネキンを用意したそうですが…。
かなり瘦せて、すっきりしていました。
しかし、メイクは確かに似ていましたね。
今週の『マツコの知らない世界』、「マネキンの世界」は以上になります。
マネキンの世界が面白い!レジェンド原型師欠田誠・中村道彦・マツコ まとめ
- 欠田誠さんは、マネキン界のレジェンド
- 欠田さんは、目を開けたまま型を取る技術(FCR)を開発した
- その型取りは、岡本太郎やダリといった芸術家も体験した
- ダリは欠田さんのマネキンを買っていった
- マネキンは時代を映す鏡
- 昔は女優などの具体的なイメージだったが、時代と共に抽象的なものが好まれるようになった
- 生活の様々なシーンや年代を演出するマネキンがある
- 中村さんはマネキンマシンを開発した
- マネキンマシンはパルクールやヤマカシをイメージして作られたため、躍動感のあるポージングが可能
- 横浜そごうでは、マネキンマシンにスーツを着せて、伸縮性をアピールしている
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