2019年は、令和へと元号が変わった記念すべき年となりました。
スポーツの世界に目を向けると、今年はラグビーワールドカップが日本で初開催予定。
すでに様々なメディアで盛り上がりつつありますが、昨年はサッカーロシアワールドカップで日本中がサッカー一色となったのは記憶に新しいと思います。
様々なメディアで試合が放送されましたが、試合を見る上で重要なのが解説。
解説者の良し悪しで試合が面白くもつまらなくもなってしまうのです。
今回は、5月26日の『ジャンクSPORTS』(TBS系列19:00~20:00)に登場する、日本サッカー界でサッカーを盛り上げて現在は解説者、当時所属していた浦和レッズでは「象徴」とまで言われた福田正博さんについてご紹介していきたいと思います。
浦和レッズ福田正博が引退試合で1億円ゲット!その理由とは?
福田正博(ふくだ まさひろ)さんは神奈川県横浜市出身。
幼少の頃は野球少年でしたが、小学5年生の時に藤沢市に転校した先の小学校でサッカーと出会います。
中学2年生の時に関東予選を突破して全国中学校サッカー大会へ出場。
その頃になると福田さんの名前は神奈川サッカー界ではかなり名前が知れた存在になっていました。
高校はサッカー強豪校である相模工業大学附属高校へ進学。
高校1年からレギュラーに抜擢されますが、県予選で敗退して全国大会へは出場できず。
2年生と3年生の時には全国大会へ出場するも決勝で敗退。
福田さん個人としては、2年の時に関東大会優秀選手、3年の時には神奈川選抜のメンバーとして出場して6得点を上げて優勝へ導く大活躍。
その非凡な才能はすでに開花しつつありました。
大学進学後も1年からレギュラーとなり新人王や日本代表のB代表選出、3年生の時にはアシスト王や4年生ではキャプテンとしてチームを牽引しました。
1989年に日本サッカーリーグ2部の三菱重工業サッカー部(後に三菱自動車工業へ移管)に加入。
加入1年目から36得点を叩き出して得点王を獲得すると、当時2部リーグだったチームを1部へ昇格させる大きな原動力となります。
1990年に日本代表に初選出。
同年代表デビューを果たすと、その後は2002年まで日本代表として活躍。
所属チームの浦和レッズでは、チームのエースとしてJリーグで日本人初の得点王やアジアサッカー連盟の月間最優秀選手を獲得しますが、1996年に左足首を骨折してからはそのケガが原因で様々な部位の負傷に苦しまれます。
そしてついに2002年にクラブから戦力外通告を受け、「浦和レッズ以外ではプレーしない」という福田さんの考えから現役を引退。
その人気を知らしめたのが、埼玉スタジアムで行われた引退試合。
観客5万人(Jリーグ史上最高)を動員して、なんと福田さんの引退関連グッズだけで1億円もの売り上げを記録したのです。
観客動員数、売り上げ金額ともにとんでもない数字ですね…
浦和レッズ福田正博のサッカー解説の評判は?
引退後はサッカー解説者としてTBSやニッポン放送を中心としたスポーツ番組で活躍し始めます。
現時点で、サッカー解説者の中では最も多くテレビやラジオ局と契約しており、現役時代の経験から日本代表の試合への解説が特に多いです。
解説者としては、現役時代のFW目線をベースにして初心者でもわかりやすく解説していますが、論理的・戦術的な部分は少なくやや物足りない印象がします。
福田さんの言葉選びが稚拙な部分もあることから、全体的に軽い印象となってしまうのが残念です。
ただ、元日本代表であり「ミスターレッズ」とまで言われた経歴や、端正なルックス・流暢な喋りなどから様々な媒体で活躍しており、テレビなどメディアでの評判は非常に良いそうです。
そういった意味では、自らのポジションをしっかりと築いたその力は解説者としても日本代表レベルと言えるでしょう。
福田正博が引退試合で1億円!その理由やサッカー解説の評判は?まとめ
プロサッカー選手は毎年100人近い人数の選手達がユニフォームを脱ぐと言われており、現役引退後に解説者などに転身できるのはごく一部です。
その名前を見渡してみますと、
- 都並敏史
- 北澤豪
- 城彰二
- 武田修宏
- 金田喜稔
- 松木安太郎
- 中山雅史
ご覧の通り、現在活躍しているサッカー解説者はほとんどが日本代表で活躍した選手、もしくは監督経験者なのです。
さらに現役時代からキャラクター性が強くて人気があった選手ほど重宝される傾向にあり、そういった意味では端正なルックスと固すぎない解説はメディアにとっても起用しやすいのかも知れませんね!
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