5月26日に放送される『消えた天才』ですが、”モンスター”ことプロボクサー・井上尚弥選手に勝利したことがある、林田太郎さんが取り上げられます。
井上尚弥選手は実績のあるボクサー達を、次々に強烈なパンチでマットに沈めてしまいことから、”モンスター”の異名がついています。先週末も、衝撃的なKO勝利を飾ったばかりです。
この井上尚弥選手に勝ったことのある、林田太郎さんとはいったいどのような人物なのでしょうか。
そして、彼はなぜ消えてしまったのでしょうか。
モンスター井上尚弥が完敗した日本人ボクサーは林田太郎・画像
- 氏名:林田太郎(はやしだ たろう)
- 生年月日:1989年9月9日(現在29歳)
- 出身:千葉県浦安市
- 経歴:千葉県市立習志野高等学校 駒澤大学
林田太郎さんは、アマチュアボクシングで活躍したボクサーでした。
千葉県浦安市に生まれ、父は自営業を営んでいるそうです。
中学校の途中までは野球をしていましたが、体格が大きくないことから(井上尚弥選手と同じく165cm前後と推定される)、高校でも続けていくことは難しいのではないかと考えるようになります。
林田さんの父は、自身が空手をやっていたことから、息子の林田さんにボクシングを勧めました。
中学2年からボクシングに転向し、後に進学する習志野高校の練習に参加したことから、ボクシングを本格的に始めます。
習志野高校時代は、高校2年時に全日本選抜大会で準優勝し、高校3年時には個人での国体優勝を果たしています。
高校時代に遠征に行った、駒澤大学ボクシング部の雰囲気が気に入り、そのまま駒澤大学に進学しました。
林田さんが大学進学する頃、駒大ボクシング部は関東大学二部リーグから一部リーグに昇格したばかりで、決して強豪と呼べる存在ではありませんでした。
林田さんは、そんな駒大ボクシング部を自分の力で強くしたいという気持ちがあったそうです。
大学進学後の2008年、2009年、2010年に全日本ライトフライ級チャンピオンになっています。
そして、2009年、2010年、2011年の国体ライトフライ級で優勝し、世界選手権日本代表となりました。
大学時代に積み重ねたこれだけの実績の中には、”モンスター”井上尚弥選手との試合もありました。
井上選手との対戦成績は1勝2敗ですが、アマチュア時代とはいえ、現在世界的なボクシング選手になった”モンスター”に勝利しているのです。
林田さんが井上選手と対戦し勝利したのは、井上選手が高校2年の時(2010年の全日本アマチュア選手権決勝)でした。
当時の林田さんは大学生で、高校生の井上選手とは体格の違いもあり、プレッシャーをかけて有利に試合を運ぶことが出来たそうです。
それでも、井上選手のパンチはガードの上からでも脅威を感じたと、インタビューで語っています。
そして、高校生とはいえ、井上選手は高校1年にして、インターハイ・国体・選抜の3冠を達成し、アジアユース選手権でも銅メダルを獲得していました。
いくら高校生とはいえ、戦っていたのは、すでに”モンスター”だったのです。
林田さんは、大学時代に井岡一翔選手とも対戦しています。
こちらも対戦成績は1勝2敗です。
井岡選手は、林田さんの1学年上で、大学でのデビュー戦の相手でもありました。
後の世界チャンピオンとの試合の勝因を聞かれると、「たまたま、井岡選手がスタイルに悩んでいたタイミングだっただけではないか」と謙遜されていました。
アマチュアでこれだけの実績を残した林田さんでしたが、大学卒業後はプロの道には進まず、卒業と同時に現役を退きました。
後に世界チャンピオンとなる2人との対戦を、今でも誇りに思っており、感謝していると語っています。
彼らが活躍してくれたからこそ、自分がこうして取材対象となっていると、その謙虚な姿勢は変わりません。
アマチュアでの通算戦績は95勝15敗でした。
モンスター井上尚弥が完敗した日本人ボクサー林田太郎の現在は?
#福井国体 #ボクシング
弟・林田翔太(左=和歌山県)の決勝進出を褒めている兄・林田太郎氏(右)は、隣のリングで飯村樹輝弥(東京都)のセコンドに就いた直後。飯村も勝ったので明日の決勝では、弟の相手のセコンドに兄が就く複雑な対決へ🥊⤴️…と思ったらお兄さん、それは辞退したらしいです。 pic.twitter.com/2ss6CPp3w8— せりしゅんや / Shunya Seri (@serishunya) 2018年10月7日
林田さんは、現在母校である、駒澤大学ボクシング部のコーチをされています。
結婚され、2人のお子さんにも恵まれて、幸せな家庭を築いていらっしゃいます。
駒澤大学卒業後は、企業に勤めていらっしゃったそうです。
林田さんには、3歳年下の翔太さんという弟がいらっしゃるのですが、翔太さんも駒大でボクシングをやっていました。
その弟さんが、駒澤大学に進学し、全日本チャンピオンになります。
そしてこのタイトル獲得により、弟さんに対する林田さんのコーチとしての実績が評価され、駒大からコーチの誘いが来たのです。
林田さんは、母校の駒大に職員として迎え入れられましたが、実は弟・翔太さんが駒大に入ったのは林田さんのボクサーとしての実績が評価されたからだったのです。
弟・翔太さんは高校時代はインターハイ一回戦負けにも関わらず、林田さんの大学ボクシングの実績から、駒大に入学しました。
弟・翔太さんは、大学卒業後は和歌山県庁に入庁し、和歌山県庁所属としてボクシングを続けています。
大学時代には、2012年、2014年の全日本フライ級チャンピオンになり、アジア大会では銅メダルを獲得しています。
林田さんは、ボクシングがあったからこそ、自分だけではなく兄弟ともに今があると感じているようです。
これまで支えてくれた多くの人へ感謝の気持ちを持ち、その縁も大切にされています。
選手としてではありませんが、現在は指導者としてボクシングに関わり続けています。
昨年の夏には、「世界に生まれた男」が一種の社会現象になりましたが、同じアマチュアボクシング界にあっても、林田さんを知ると真逆の価値観を持っておられることが分かりました。
そしてその考え方は実に教育的で、コーチとして後進の指導にあたるには最適だと思います。
【消えた天才】井上尚弥は誰に完敗した?林田太郎の画像や現在は?まとめ
- 林田太郎さんは、千葉県浦安市出身、現在29歳で駒澤大学ボクシングのコーチをしている
- 中学の時に野球からボクシングに転向した
- 高校・大学を通した通算戦績は95勝15敗
- 国体優勝など、大会での優勝経験も多数
- 大学でボクシングを辞め、指導者の道を選んだ
- 弟・翔太さんが駒大で全日本チャンピオンになったことにより、林田さんの指導実績が評価されて母校・駒澤大学からコーチの誘いが来た
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