2020年2月11日早朝、偉大な監督の訃報が報道されました。
元プロ野球選手・監督の野村克也さんがお亡くなりになりました。
野村監督と言えば、名監督としてヤクルトスワローズを何回も日本一にした頭脳派監督で、指導・育成をはじめ、人生に例えることができる名言もたくさん発言されました。
ブレない監督として「ノムさん」「ムース」の愛称で親しまれ、時には故野村沙知代さんと夫婦で辛口コメントを発していました。
実は野村克也さんは、沙知代さんと結婚する前、一度離婚を経験されているのをご存知でしょうか。
今回は、野村克也さんの一度目の夫人とその子どもについて調査しました。
野村克也の前夫人と子供
前夫人に出会うまでの野村克也さんの苦難
野村克也さんは幼い頃、戦後間もない時期を極貧生活を送っていたそうです。
父は日中戦争で満州にて戦死(実は道端のお供えの柿を食べて亡くなったらしい)、母は看護婦でしたが野村克也さんが小学校低学年時にガンを患い、兄弟たちは子どもができるアルバイトなどで生計を立てたそうです。
その為、手っ取り早くお金を得て、一家を楽にさせたいとの思いから芸能界を目指します。
しかし、戦後の大スターだった野球選手の活躍を見て、野村克也さんは野球選手を目指します。
兄が大学断念をしてくれたおかげで高校へ進学しました。
野球部に所属するも、進学すら反対だった母に反対されてしまいます。
野球部の顧問の計らいで引き続き野球部に在籍、地元大会では成績を残しますが甲子園には程遠かったそうです。
その顧問が、野村克也氏の為にプロ野球球団に片っ端から推薦状を送りました。
唯一、南海ホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)の監督が興味を示し、野村克也さんのテストをしてくれ、1954年に研修生契約金0円でプロ野球人生がスタートしました。
前夫人は南海電鉄の社長令嬢の正子さん
南海に入団しても最初から花道があったわけではない野村克也さん。
一軍に定着したのは1956年の春季ハワイキャンプで正捕手に抜擢されてからだそうです。
最初の結婚は1960年、南海ホークスの親会社南海電鉄の社長令嬢、正子さんとでした。
これからのホープであろう野村克也さんと、社長令嬢との結婚。
ネット情報ですが、順調に進んだわけではなく、いばらの道の上で結婚だったそうです。
その為、お二人の馴れ初めはどこにも明かされていません。
1963年には、お二人の間に陽一さんも誕生します。
その後、野村克也さんは実力も運も味方につけ、野球選手として開花します。
- 1963年 史上初シーズンフルイニング出場(捕手登録選手では史上初)
- 1965年 史上2人目の三冠王達成(戦後初)
- 1966年 史上7人目逆転サヨナラ満塁本塁打
など多数
男性としても、選手としても油の乗ってきた野村克也さん夫妻はじわじわと夫婦生活が破綻し始めていました。
離婚成立まで10年かかった真相は?
離婚の原因は
世間では
「野村監督とサッチー(故沙知代夫人)の不倫の末の泥沼化」
と捉えられがちですが、事実は異なります。
野村克也さんと正子さんは1968年に別居するに至りました。
プロ野球選手と言えば、遠征で1年のほとんどが自宅にいない日々を送ります。
全国各地、アウェイのホームでも試合があります。
その寂しさからなのか、野村克也さんが仕事で外出すると30分後に男性が正子さん宛てに訪ねて来ていたというのです。
2017年に沙知代夫人が他界された時のインタビューで、前妻のことにも以下のよう語っていました。
- (正子さんに)浮気された
- 頭にきて「出ていけ」と正子さんに怒鳴った
- お手つだいさん2名は知っていて、野村克也さんだけが知らなかった
それから、野村克也さんは正子さんと別居が始まったとしています。
サッチーとの出会いと離婚成立まで
別居になって、野球生活が軌道に乗っても家に帰ると家族がいない日々が続いたようです。
1970年、野村克也さんは沙知代さんと出会います。
沙知代さんの肝っ玉母さんぶりと、明るいキャラは皆さんの知るところです。
当時の野村克也さんも第一印象は「明るい人」だったそうです。
沙知代さんの登場でダブル不倫になってしまいましたが、野村克也さんは正子さんに「離婚」を申し出ますが頑なに拒否されてしまいました。
戸籍上の妻は正子さんですが、事実上の妻は沙知代さんとなり1973年には沙知代さんとの間に克則さんが誕生します。
正子さんと正式に離婚したのは1978年だったそうです。
最初に誕生した陽一さんの事も気がかりだったとは思いますが、沙知代さんの連れ子と克則さんを家族として生活していくことにしたようです。
まとめ
突然の訃報に驚かされた、野村克也さんの旅立ち。
奇しくも死因は沙知代夫人と同じ「虚血性心不全」でした。
生前、野村克也さんは語っています。
「一人の家に帰るのはつらい。(奥さんが)いてくれるだけでいい。」
1968年に別居した時の寂しさと、2017年に沙知代夫人が亡くなった時が
「人生とはなにか?」
と考えさせられたようです。
ご冥福をお祈りします。
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