勝新太郎伝説|豪遊エピソードまとめ!一晩で2億円の借金ができたことも

さて今回は、昭和の名優・勝新太郎さんの豪遊エピソードについてまとめてみました。

『直撃!シンソウ坂上』(フジテレビ)でも取り上げられる、勝新太郎さんの豪遊伝説。

その破天荒すぎる豪遊エピソードを調べてみると、驚きの事実がわんさか飛び出してきました。

昭和のスター、ヤバすぎです…。

そんな勝新太郎さんの豪遊エピソードだけではない一面も、プロフィールで紹介しています。

合わせてお楽しみ下さい。

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勝新太郎の豪遊伝説とは?

それではさっそく、勝新太郎さんの豪遊伝説を見ていきましょう。

勝新太郎さんの豪遊エピソード

  1. 酒の席の取り巻きが100人
  2. Mr.マリックショーでチップに50万円を渡す
  3. 基本的に飲食代は全額奢り
  4. 豪遊のし過ぎで借金苦に
  5. でも豪遊→借金&豪遊のコンボを続ける
  6. 借金は最終的に20億円になったらしい

昭和の名優と言えば、”破天荒”なイメージがありますよね。

それも、今では考えられない破天荒ぶりです。

勝新太郎さんの豪遊エピソードは、期待通りの内容でした。

しかし、これもごく一部なんだそうです。

飲みに行けば、まず飲食代は全て勝新太郎さんの奢り。

例えば2軒目に行くとなると、お店のお姉さんも皆一緒に次の店に移動します。

これを繰り返していくうちに、取り巻きが100人にもなっていたそうです。

一晩の飲食代は、多い時で2億円になることも。

アラブの石油王じゃないですか。

当然ポケットにそんなお金があるはずがなく、もちろん支払いは借金となります。

勝新太郎さんがすごいには、借金をしても豪遊をやめようとしないことです。

借金の返済のためにさらに借金し、そのお金で豪遊してしまうのです。

悲壮感のかけらもありませんね。

豪快なのは映画などの事業も同じで、豪遊との合わせ技で最終的な借金の総額はおよそ20億円にもなったといいます。

すごすぎる…。

豪遊エピソードの中には、50万円の高額チップもありました。

当時まだ無名だったMr.マリックさんのマジックショーを見た勝新太郎さんは、その技に大変感動したそうで、その場で50万円をチップとして渡したそうです。

才能を見つける眼力も鋭かったようで、ブレイク前のB’z・稲葉さんを俳優として育成したいと声をかけた逸話もあります。

その後、勝新太郎さんはB’zのファンとなり、自前でチケットを買ってライブに足を運んでいたそうです。

何から何まで破天荒な昭和の名優、勝新太郎さんの豪遊エピソードを紹介しました。

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勝新太郎のプロフィール

  • 芸名:勝新太郎(かつ しんたろう)
  • 本名:奥村利夫(おくむら としお)
  • 生年月日:1931年11月29日-1997年6月21日(65歳没)
  • 出身:東京都江東区(旧・東京市深川区)
  • 身長:170cm
  • 血液型:O型
  • 職業:俳優、歌手、映画監督、映画プロデューサー、脚本家、三味線師範
  • 所属事務所:(1981年に倒産)
  • 経歴:旧制法政中学校中退(現・法政大学中学高等学校)

昭和の名優・勝新太郎さんは、現在の東京都江東区の出身で、代表作『座頭市』シリーズや『兵隊やくざ』など多数の映画・テレビドラマに出演されました。

勝新太郎さんの父親は、長唄三味線方の杵屋勝東治さんです。

そのため、勝新太郎さんには「二代目 杵屋勝丸」という別名義があり、10代の頃は深川の芸者さんに長唄と三味線を教えていたそうです。

若かりし頃は、三味線師範だったということになります。

母親は八重子さんという方で、勝新太郎さんは次男になります。

兄は2歳年上の、若山富三郎さんです。

若山富三郎さんもまた、昭和の名優として活躍された方です。

ちなみに、幼馴染は有名な俳優だった、宇津井健さんだそうです。

勝新太郎さんは23歳で俳優デビューしました。

きっかけは、三味線の巡業で訪れたアメリカでした。

撮影所で勝新太郎さんが紹介されたのは、当時最も人気のあった俳優のジェームス・ディーンだったのです。

ジェームス・ディーンに影響された勝新太郎さんは、映画俳優を志します。

しかし、なかなかブレイクのチャンスは訪れず、難しい時期が続きました。

ブレイクを果たしたのは、1960年に公開された『不知火検校』です。

さらに、この映画撮影時に女優の中村玉緒さんと出会い、翌年に結婚されました。

夫妻の間には、娘・奥村真粧美さんと息子・雁龍さんが生まれます。

そして、子供たちも俳優として活動しました。

ブレイクした勝新太郎さんは、代表作『座頭市』シリーズと『兵隊やくざ』の大ヒットで一躍不動の人気を得ることになります。

その活躍は俳優に止まらず、映画監督や映画のプロデュースへと広がりました。

同時に、「勝プロモーション」を設立します。

「勝プロ」設立の1960年代後半から1970年代は、まさに勝新太郎さんの全盛期でした。

斬新な撮影手法と、伝統を重視した新しい時代劇への取り組みは、今なお高い評価を受け続けています。

しかし、1970年代後半にテレビドラマに進出してからは、トラブルが増えていきました。

さらに、1978年にはアヘンの不法所持で書類送検されてしまいます。

その後、テレビドラマ『警視-K』に莫大な予算をつぎ込みましたが、これがヒットせず、勝プロは倒産してしまいました。

1990年には、ハワイの空港でマリファナとコカインの不法所持のため現行犯逮捕。

この時麻薬を下着に隠していましたが、会見で「これからは下着をはかないことにする」とコメントし、話題になりました。

そして、1996年に下咽頭癌の発病を発表しました。

仕事と治療を並行しながら続けましたが、1997年6月21日に亡くなります。

まだ、65歳の若さでした。

俳優としての高い評価、豪放磊落な性格と振る舞い、そして数々のトラブル。

勝新太郎さんは、まさに”昭和の名優”の代表として、現在も語り継がれる存在となっています。

 

以上、今回は昭和の名優・勝新太郎さんの豪遊エピソードについてまとめました。

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まとめ

  • 勝新太郎さんの飲み会は、取り巻きが100人いた
  • 一晩で2億円の借金をしたことがある
  • 借金に借金を重ねて豪遊三昧
  • 最終的な借金総額は20億円になった
  • Mr.マリックショーに感動してチップ50万円
  • 勝新太郎さんは映画『座頭市』シリーズで人気を博した、昭和を代表する名優
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