クレイジージャーニー廃墟の女王「摩耶観光ホテル」の場所や歴史

4月17日の『クレイジージャーニー』(TBS系列23:56~24:55)は、「奇界遺産」でお馴染みの佐藤健寿さんが登場します。

ゴンザレスさんや加藤さんと並ぶ、もはや『クレイジージャーニー』のレギュラーの一人である、佐藤健寿さんです。

佐藤さんは、これまでも世界中の「奇界遺産」や廃墟に訪れ、番組ではその模様を放送してきました。

今回、佐藤さんが訪れた先は、北朝鮮、タイ「地獄寺」、そして「廃墟の女王」の3カ所です。

北朝鮮では、超貴重な”何か”を撮影に。
そして、入国した人間にしか知ることのできない、ミステリアスな北朝鮮の現実にも触れるそうです。

タイの「地獄寺」もかなり奇妙な場所みたいですね。
でも、佐藤さんと言えば、やっぱり「廃墟」ですよね。
以前に放送された、旧ソ連圏の廃墟などは、とてもインパクトがありました。

今回の廃墟は、立入禁止となっている「廃墟の女王」と呼ばれる場所です。
”女王”と付くからには、海外のどこかと思われるかもしれません。
しかし、この廃墟は日本にあるのです。

「廃墟の女王」は、兵庫県神戸市にあります。
かつては、「摩耶観光ホテル」として営業していました。
しかし、紆余曲折あって現在は営業されておらず、廃墟となっていしまいました。

優雅な外観が朽ち果てた姿は、「廃墟の女王」と呼ばれるのにふさわしそうです。
”廃墟マニア”達の間では有名になっている、摩耶観光ホテル。

そこには、いったいどのような過去があるのでしょうか。

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クレイジージャーニー廃墟の女王摩耶観光ホテルの場所はどこ?

”廃墟の女王”こと「摩耶観光ホテル」は、兵庫県神戸市の摩耶山にあります。

神戸の摩耶ケーブル駅より、ケーブルカーに乗って山の上へ向かいます。
「虹の駅」で下車し、駅の脇にある柵を超えて山道へ入ります。

ですが、ここで注意。
この柵には「立入禁止」とあり、勝手に入ることはできません。
入るには、自治体の許可が必要になります。

許可がある場合、山道に入って摩耶観光ホテルを目指します。

しかし、山道とは言ってもそれは昔の話です。
現在では、草木が無造作に生い茂り、快適に進むことはできません。
足元にはガラスなどの危ないゴミも落ちており、夜になればなおさら危険です。

人気のない山道を進むと、木々の間に建物が現れます。
これが、「摩耶観光ホテル」です。
うっそうと生い茂った木々に周りを囲まれ、建物にはツタが絡まっています。

その外観は、まさに”廃墟”。
しかし、なぜでしょう。
侘しさの中に、どこか温かみを感じます。
人がいた、そこに生活があったという名残が、そう感じさせるのかもしれません。

「摩耶観光ホテル」の外観は朽ち果てていながらも、当時はモダンな建物であったということが容易に理解できます。

建物の構造は洋風で、窓の形も歴史を感じさせます。
建物内に入れば、丸みを帯びた天井のカーブがレトロ感を醸し出しています。

大ホール、「額縁の部屋」と呼ばれる全面ガラス張りの建物からせり出した部屋、礼拝堂など、かつては美しい姿だったことを想像させる構造です。

日中の明るい時間なら、このように感じるでしょう。
でも、夜ならどうでしょうか。

廃墟のホテル。
”昭和レトロ”を感じさせる、洋風のデザイン。
人気はなく、外観は寂れ、中は朽ち果てボロボロ。
出そうですよね、そう、”あれ”が。

「摩耶観光ホテル」は心霊スポットとしても有名です。
くれぐれも立入禁止です。

しかし、それを無視して侵入する若者もいるようです。
建物内には、そうした輩が残した多くの落書きが散見されます。

映画『DEATH NOTE』の撮影では、この建物の大ホールが使われたこともあります。
その他にも、撮影で使われたことがあり、メディア関係の中でも知られた存在です。

ですが、最も思い入れがあるのは”廃墟マニア”の方達でしょう。
その情熱はすごいもので、現在では登録有形文化財へ向けて活動が進められています。

この活動を行っているのは、NPO法人J-heritage(ジェイ・ヘリテージ)です。

確かに、「摩耶観光ホテル」は単純に”廃墟”としてだけでなく、建築物としての歴史的価値も感じさせます。
保存されずに、朽ち果ててしまっているのが惜しいほどです。

しかし、その道のりは険しそうです。
建物の所有者からは応援されているそうですが、自治体を納得させ、さらに保存へ向けた枠組みを作るのは簡単ではなさそうです。

世界文化遺産に登録された、日本一有名な”廃墟”でもある「軍艦島」。
実は、最も目に付くアパート群は登録されていません。
このうちの2棟が保存される方向だそうですが、いずれも大正時代に作られたことが理由だそうです。

「軍艦島」が世界文化遺産に登録されたのは、”明治”時代の産業・工業の遺産だからです。
それに相当するのは、島を囲う石壁と、島の中にあるレンガの一片なのだそうです。

簡単ではないでしょうが、「摩耶観光ホテル」も保存されるといいですね。

クレイジージャーニー廃墟の女王摩耶観光ホテルの歴史について

「摩耶観光ホテル」は現在、”3度目”の廃墟になっています。
ここでは、その歴史を振り返りましょう。

この建物は、1929年(昭和4年)に摩耶鋼索鉄道(まやこうさくてつどう)によって建築されました。
当初は、摩耶鋼索鉄道の福利厚生施設を目的とされていました。
会社の保養施設のようなイメージです。
それにしては、とても豪勢ですよね。

1945年、太平洋戦争下にあったため、摩耶ケーブルは政府から不要不急線とみなされました。
これによって、摩耶ケーブルは営業停止となり、施設も翌年には営業停止となりました。

これが、”最初”の廃墟化です。

時は過ぎ、1961年になります。
民間企業が、ケーブル会社から建物を買い取りました。
「摩耶観光ホテル」時代です。

フランス客船から買い取った装飾品などを利用して、ホテルとして改装されました。
しかし、台風によって建物は修復不可能なほどの被害を受けました。

そのため、1967年に営業停止となってしまいます。
この豪雨は、昭和3大水害に数えられるほどの大規模なもので、周囲には土砂崩れなども発生したそうです。

これが、”2度目”の廃墟化です。

7年後の1974年、「摩耶観光ホテル」は「摩耶学生センター」に姿を変えました。
常駐の管理人を置いた施設は、ゼミ合宿やサークル合宿を受け入れる専門の施設になったのです。

”廃墟に泊まれる”こともセールスポイントだったそうです。
ですが、管理人をしていた老夫婦が体調を崩してしまったため、1993年にはまたもや営業停止となってしまいました。

これで、現在の”3度目”の廃墟化となったのです。

そして、阪神淡路大震災によって建物が損傷しました。
崩落の危険があることから、1995年に自治体は「摩耶観光ホテル」を完全立入禁止としました。

こうして、”廃墟の女王”は生まれたのです。

クレイジージャーニー廃墟の女王「摩耶観光ホテル」の場所や歴史!まとめ

”廃墟の女王”こと「摩耶観光ホテル」は、兵庫県神戸市の摩耶山中腹にある廃墟です。

はじめはケーブルカー会社の保養施設として建設されましたが、その後「摩耶観光ホテル」に姿を変え、さらに「摩耶学生センター」となって廃墟化しました。
過去に2度廃墟となり、現在3度目の廃墟となった歴史を持ちます。

心霊スポットとして知られたり、映画の撮影に使われてもいますが、”廃墟マニア”の聖地としても有名です。

NPO法人J-heritageは、現在この「摩耶観光ホテル」を登録有形文化財に登録するための活動を行っています。

「摩耶観光ホテル」は、自治体によって完全立入禁止とされています。
山の中は、木々に覆われ、山道にもガラスが落ちているなど足元も危険です。
過去には、建物を見に行こうとして遭難した若者グループが、救援要請をすることが複数回ありました。

山だけでなく、「摩耶観光ホテル」内も多くがすでに崩落しています。
天井が壊れていたり、物が落ちている箇所も多くあるので大変危険です。

入るには、自治体の許可が必要です。
くれぐれも注意してください。

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