丸坊主と遅咲きで知られるランナーの園田隼選手は、昨年2月の別府大分毎日マラソンで日本人トップの2時間9分34秒を出し、それまでの自己ベストの2時間10分40秒を大幅に更新して2位に入りました。
ついに2時間10分の壁を破る好記録を出したわけですが、この成績によって来年開催の「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」への出場権が決定しました。
園田隼選手については物まねの対象になったりして人気者ですが、これまでどんな経歴を持っている人なのか、今日は調べてみたいと思います。
園田隼は上武大学出身で箱根駅伝での成績や記録は?
園田選手の実績を見ると、かなりの遅咲き選手であることが分かります。
普通の一流選手が高校から既に頭角を現しているのに対して、園田選手は大学から事業団に入り、徐々に実力を発揮しています。
園田選手は現在30歳で黒崎播磨に所属しています。
身長は165㎝で体重は50kg、それまで髪を切っていなかったのですが、黒崎播磨に入ってからの2015年から6年の間に丸坊主に変身しました。
丸坊主になってから記録を出し始めたとも言われていますが、丸坊主ではなく、いろんな人との出会いで大きく成長しているようです。
上武大学時代
園田選手は2008年、熊本の高校から群馬県の私立大学で、大学駅伝においては新興大学の上武大学に入学し、花田勝彦監督の指導を受けています。
花田監督と言えばアトランタ五輪(1996)とシドニー五輪(2000)にマラソン代表で出場した実績を持つ人です。
上武大学は園田選手が入学当時、4年連続箱根駅伝に出場し、園田選手も3年と4年の時に山登りの5区に出場しています。
ただし成績はと言えば、3年の時は区間14位の1時間23分02秒(同区1位は東洋大3年の柏原竜二で1時間17分53秒)で、4年の時は同区間で13位1時間23分05秒(同区1位は東洋大4年の柏原竜二で1時間16分39秒)でした。
当時、山の神と言われた柏原竜二選手と比較すれば、まだまだであったことが分かります。
黒崎播磨
その後、2012年に大学を卒業して、実業団の黒崎播磨に入社して同社の陸上部に所属しています。
そこで園田選手は渋谷監督と運命的な出会いをします。
渋谷監督が園田選手の素質を見抜いて、園田選手に「実績はないが、長距離の適性はチーム1だからマラソンでオリンピックを目指そう」
と言われたそうです。
この言葉を聞いて最初、園田選手は本気で言っているとは思わず、信じなかったそうです。
しかし、その時から毎朝、彼は脈拍・体温・体重などのデータを測って監督に報告しています。
普通、そこまで監督がするということはないというのです。
さらに、普通の実業団で活動するマラソンランナーが40㎞を走る時は一般道路を利用するのが普通ですが、園田選手には400mトラックを100周走るように指示しました。
風景が変わらない退屈な環境での訓練をさせることで、体力と精神力を鍛えることが監督の目的だったと言います。
この訓練方法を聞いた元金メダリストの高橋尚子さんは大変驚いています。
これは練習では30㎞以上走らない設楽悠太選手とはまったく正反対の練習をしていることになります。
また園田選手の驚くべきことは、普通の選手は自分の足の特徴に合わせたオーダーメイドのシューズを履くのは普通ですが、園田選手の場合は市販のASICSを履いていると言います。
こうした過程を経ながら、それまでは2時間17分から25分の記録を行ったり来たりしていましたが、2016年12月の福岡国際マラソンで2時間10分40秒という好記録を出して4位となり、それまでの自己ベストを7分ほと短縮しました。
この時、園田選手は27歳でした。
その後、2018年2月に開催された別府大分毎日マラソンで2時間09分34秒を出し2位(日本人1位)となり、自己ベストタイムを更新しています。
さらに同年8月のジャカルタ大会では2時間19分04秒で4位、優勝記録が井上大仁の2時間18分22秒ですから、真夏という厳しい環境でこの結果だったと言う事が出来ます。
同年12月の福岡国際マラソンでは2時間10分31秒ですから、実績は過去と比べると確実に上がってきていることが分かります。
今年になって4月15日に開催されたボストンマラソンでは2時間15分58秒の18位でもう一歩力を発揮できずに終わっています。
園田隼の出身中学や高校時代について
園田選手は熊本兼阿蘇郡西原村の出身で、小学校は西村村立山西小学校、中学校は西原村立西原中学校でした。
高校はサッカーやバスケットボールの専門を目指す「アスリートコース」がある熊本国府高校に入学してそこで陸上部にはいりますが、高校までの実績は目立ったものがなく、全くの無名の選手でした。
やはり、大学以降の監督との出会いによって徐々に真価を発揮していると見た方が良いでしょう。
ですので、中学や高校時代のこれといった情報はありませんでしたが、今後の活躍次第では新たな情報が出てくるかもしれません。
まとめ
このように園田隼選手は大学以降から徐々に実績を出してきた完全な遅咲きタイプの選手です。
彼のインタビュー記事などを見ると、これから30歳から35歳になっても更に実績を出せるように頑張りたいと言っています。
記録を見ると、まだまだ浮き沈みがあるので絶対強者とまでは言えないでしょうが、非常に前向きな姿勢に好感が持てますし、本当にオリンピック選考会で最高の記録が出せるように十分な準備をして臨んでもらいたいものです。
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