田中恒成右足の病や両目のけがとは?3階級王者を支えた家族愛が凄い!

4月13日放送の『バース・デイ』(TBS系列17:00~17:30)では、プロボクサーの田中恒成選手が取り上げられます。

田中恒成選手は、まだ23歳の若手ボクサーですが、現在までに世界最速での3階級制覇を成し遂げています。

今年3月16日には、チャンピオンとして、田口良一選手とのWBO世界フライ級タイトルマッチに臨みました。
試合は3-0で田中恒成選手の勝利に終わり、見事初防衛に成功しました。

田中選手は、日本最速となる、プロ5戦目で世界チャンピオンになっています。
この記録は、現在世界的に注目されている井上尚弥選手が2014年に作った、プロ6戦目での記録をわずか1年で破るという快挙でもありました。

3階級記録の最速記録は、ウクライナ出身の世界的トップボクサーである、ヴァシル・ロマチェンコ選手に並ぶ記録です。

圧倒的なパフォーマンスと、世界への進出を目指す井上尚弥選手に注目が集まっていますが、田中恒成選手も注目に値する選手なのです。

若手天才ボクサーとして注目され、順調なキャリアを歩んでいるように見える田中選手ですが、これまでの道のりは決して平坦なものではなかったようです。

幼い頃に抱えた足の病、そして2017年に負った選手生命を脅かすほどの大怪我。
こうした苦難を乗り越えて現在の姿があるそうです。

そして、それを支えたのは温かい家族の愛情でした。

今回は、3階級制覇を成し遂げている若手天才ボクサー・田中恒成選手の、苦難とそれを支えた家族愛について紹介したいと思います。

田中恒成右足の病や両目のけがとは?

田中恒成(たなか こうせい)選手は1995年6月15日生まれ、岐阜県多治見市出身の現在23歳のプロボクサーです。
小学校5年生からボクシングを始め、中京高校在籍時には、国体のライトフライ級を2年連続で制しました。

その圧倒的なパフォーマンスから、”中京の怪物”と呼ばれ、高校3年にしてプロ転向した逸材です。

これだけのボクシングの逸材なら、生まれつき優れた身体能力に恵まれたのだと考えられがちですが、田中選手はその反対だったのです。

幼少期の田中選手は、現在の姿からは想像できませんが、歩行が困難な病を右足に抱えていました。

その病は、「ペルテス病」です。
「ペルテス病」は、原因不明の股関節に起こる病気です。
大腿骨頭という、足の付け根部分の血行が悪くなり、変形して弱くなってしまいます。

このため、骨が壊死してしまい、歩行困難になってしまうような難病です。
場合によっては、車いす生活を余儀なくされることもあるそうです。
この病気は、小学校低学年の活発な男児に起こりやすく、治療までに3~4年を要するそうです。

田中選手は、小学校に上がる前にこの病気と診断されました。
家族に支えられながら病気を克服し、現在はプロボクサーとして活躍しています。

ボクサーとして、日本最速で世界チャンピオンになりましたが、新たな苦難に直面することとなりました。

2017年9月13日、挑戦者パランポン(タイ)とのWBO世界ライトフライ級タイトルマッチに、9回1分27秒TKO勝利で2度目の防衛に成功しました。

この試合は、第1ラウンドにダウンを奪われる、苦しい立ち上がりから始まりました。
終わってみれば、TKO勝利だったのですが、田中選手は試合後に異変が起こります。

試合後に頭痛を訴えた田中選手は、そのまま大阪市内の病院に搬送されました。
翌日行われた会見には、両目を腫らした田中選手の姿がありました。

田中選手によれば、相手のジャブが左目にあたってから物が二重に見えるようになり、その後右目を切って視界が遮られていたそうです。

病院で精密検査を受けた結果、下された診断は「左目の眼窩(がんか)底骨折の疑い」でした。
その後、名古屋に戻ってからさらに検査を受けたところ、右目も眼窩底骨折と診断されたのです。

田中選手は、全治2カ月の両目眼窩底骨折の怪我を負いました。
所属する畑中ジムの畠中会長からは、3カ月のスパーリング禁止が指示されました。

実は、2017年にこの試合を終えた後は、年内にWBA・IBF世界ライトフライ級チャンピオンの田口良一選手との統一戦が控えていたのです。

しかし、この怪我によってこの試合は白紙となりました。
それ以上に、若い選手の両目眼窩底骨折の大怪我は、今後の選手生活を左右しかねない大怪我です。
そのため、ボクシングファンにとってもショッキングなニュースとなりました。

しかし、田中選手はこの苦難を乗り越え、今年3月16日に地元岐阜で田口選手との統一戦が実現しました。
試合は、10ポイント差をつけた圧勝でした。

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田中恒成3階級王者を支えた家族愛が凄い!

田中恒成選手が3階級王者に至る道のりには、多くの苦難がありました。
そして、それを支えたのは家族愛でした。

しかし、田中家の愛情表現は少々一般とは異なるようです。
沈んだ気持ちに寄り添ったり、優しい言葉を掛けたり、そういった方法ではありません。
むしろ逆でした。

現在も田中選手のトレーナーを務める父・田中斉(ひとし)さんは、空手黒帯で日本アームレスリングチャンピオンでもありました。

元プロボクサー・辰吉丈一郎さんの大ファンであった斉さんは、息子達にもボクシングをさせたかったそうです。
しかし、近所にボクシングジムがなかったため、空手を習わせることにしました。

恒成選手と兄・亮明(りょうめい)さんは共に、強制的に空手を習わされました。
始めた時、恒成選手は3歳、亮明さんは5歳だったそうです。

練習は過酷で、365日道場で1時間半の練習の後に、さらに居残り練習をさせられたそうです。
友達の家に隠れていても、父・斉さんが車で迎えに来て練習に連れて行かれるそうです。

恒成選手が小学5年生、亮明さんが中学1年生になると、兄弟はボクシングに転向しました。
畑中ジムで毎日の練習、父・斉さんはそれに付き合ってきました。

兄弟はその後、揃って中京高校へ進学。
アマチュアボクシングでも優れた成績を収めますが、亮明さんはプロよりもアマの道を選び、弟・恒成選手はプロへと進みました。

恒成選手がプロ転向したのは、インターハイ後の高校3年の時でした。
父・斉さんは、それよりも前に、息子の将来を考えてボクシングトレーナーのライセンスを取得しました。

自宅の2階を練習場に改造し、ボクシングに打ち込める環境を整えて息子を支えてきたのです。
自営業を営んでいましたが、会社員に転職して、息子を支えやすくしたりもしてきました。

田中恒成選手の夢は、父の夢、父の夢は田中家の夢でもあったのです。

息子・恒成選手はこの期待に応え、日本最速での世界チャンピオン、そして世界最速での3階級制覇を成し遂げました。

田中恒成右足の病や両目のけがとは?3階級王者を支えた家族愛が凄い!まとめ

田中恒成選手は3階級制覇を成し遂げている、若手天才ボクサーです。

しかし、幼少の頃は「ペルテス病」という難病を抱え、克服してきました。
プロボクサーになってからは、両目眼窩底骨折という重傷を負いながらも、この怪我も克服して世界ライトフライ級の統一戦に勝利しました。

こうした田中選手の道のりを支えてきたのは、家族愛でした。

とりわけ父・斉さんは、息子のために365日練習に付き添い、自宅の2階を練習場変え、必要であれば転職し、プロ転向後を見据えてトレーナーライセンスを取得して息子を支えてきました。

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