5月18日の『天才!志村どうぶつ園』は、日光さる軍団の人気ナンバー1猿回しコンビの「ゆりありく」が登場します。
今回の放送では、新生コンビとともに、「2代目りく」も初お披露目となるそうです。
残念ながら、初代りくは、先月の4月5日に亡くなってしまいました。
「ゆりありく」は、悲しみを乗り越えて、新生コンビとしての新たなスタートを切ります。
「ゆりありく」は、軽妙なコンビのやり取りと、「りく」のドロップキックなどが評判となった猿回しコンビでした。
結成からの18年という長い年月は、簡単な道のりではなく、困難もあったようです。
互いに絆を深めながら、二人は数々のテレビ出演や単独ライブをこなす人気コンビとなりました。
今週の『志村どうぶつ園』では、長いコンビ生活でのエピソードにも触れられるようです。
そして、新生コンビの新相方となる「2代目りく」は、今回が初めてのテレビ出演となります。
予告では、まだ小さく、ゆりあさんにしがみついている可愛らしい姿が見られました。
「2代目りく」は、どのようなパフォーマンスをするのか、とても気になりますね。
今回は、「ゆりありく」のストーリーと、「2代目りく」に繋がるコンビの物語を紹介させていただきたいと思います。
人気猿回しコンビ「ゆりありく」の18年にわたる感動秘話!
「2代目りく」もお披露目#天才志村どうぶつ園 #ゆりありく #鈴木由梨亜 #2代目りく #日光さる軍団 #志村けん #山瀬まみ #相葉雅紀 #インターネットTVガイドhttps://t.co/HrKH0l24rX— インターネットTVガイド【公式】 (@internetTVG) 2019年5月17日
ゆりあさんと初代りくの出会い
猿回しコンビの「ゆりありく」は、栃木県日光市を本拠地とする猿回し団体「日光さる軍団」に所属しています。
「日光さる軍団」、なぜ平仮名の「さる」なのか申しますと、これにもストーリーがあるのです。
「日光さる軍団」と「日光猿軍団」は、正確には別団体になります。
少しだけ歴史に触れさせていただきます。
「日光猿軍団」は、1984年にスタートしました。
周防猿回しを見た間中敏雄さんが、独学で猿に芸を覚えさせたことから始まり、1991年には埼玉県越谷市で「お猿の学校」を旗揚げしました。
翌1992年からは栃木県日光市に移り、「日光猿軍団」として全国区の知名度を得ていきます。
時は流れ、2013年に「日光猿軍団」は猿の高齢化などを理由に閉園を検討していました。
ここで、経営引き継ぎに手を挙げたのが、「ゆりありく」の師匠である村崎太郎さんです。
2015年に土地建物の譲渡が行われ、名称も「日光さる軍団」に改められました。
村崎太郎さん一門ですが、実は長らく「日光猿軍団」とはライバル関係にありました。
「反省ザル」で人気になったのは、太郎次郎で知られる村崎太郎さんの一門です。
猿回しの団体については疎かったものですから、勉強になりました。
PRIDEとK-1のライバル関係から、RIZINへの歴史に似たものを感じます。
ゆりあさんこと、鈴木由梨亜(すずき ゆりあ)さんは、今から20年ほど前に太郎次郎一門の門を叩き、猿回し芸人の道に入りました。
1978年生まれ(現在40歳)のゆりあさんは、埼玉県入間市のご出身です。
子供の頃から猿回し芸人に憧れ、動物の専門学校にも通っていたそうです。
入門から2年後、山で保護されたばかりの「りく」(1999年生まれ)と出会います。
「りく」は元々は野生だったところを保護され、出会った頃は1歳でした。
師匠からコンビを組む相方となる猿を選ぶように言われ、なんとなく選んだのが「りく」でした。
その後、二人の縁は18年の長きに渡って続くことになりました。
しかし、その道のりは決して平坦なものではなかったようです。
ゆりありくのりくくん
もう涙が止まらなかったし何年も前からゆりありくのコンビを見て来たから自分の事のように泣いてしまった…
りくくん天国でゆりあちゃんを見守っててあげてね
安らかに眠ってください pic.twitter.com/RKhfM3mUiP— ちえ(ちっぴー)⚡️✂️ (@chiepi0225) 2019年5月18日
2代目りくと新コンビ結成へ
新人だったゆりあさんは、野生だった子猿の「りく」を一からしつけなければなりませんでした。
猿回しの基本である、一緒に歩くこともできなかったそうです。
従わせるのではなく、逆に人間が寄り添うようにしていきました。
日々の生活も「りく」と過ごし、コンビ結成から1年後に前座デビューをします。
「りく」は5歳ごろになると反抗期になり、それまで積み上げたものもゼロになってしまいました。
ゆりあさんは、そんな「りく」に辛抱強く接し、二人の絆はより強く、そしてより深くなっていったのです。
次第にメディアでの出演も増え、猿と人間との漫才は人気になりました。
「りく」のドロップキックは、代表的な芸でした。
しかし、「りく」も年齢を重ねると、芸を続けていくのが難しくなり、2018年10月に引退しました。
「りく」と訪れた最後の巡業先は、奈良県十津川市でした。
そして、この時に山で保護されたのが、今回お披露目となる「2代目りく」です。
2代目りく君!#ゆりありく#志村どうぶつ園 pic.twitter.com/Ela0tPe8jO
— おしゅう黒川弄り隊 (@shuw99685488) 2019年5月18日
「2代目りく」は、不思議なことに子供の頃の「りく」の服がぴったりと合いました。
2019年、「りく」は高齢のため4月5日で亡くなってしまいました。
出会いから18年、子猿の頃から連れ添ってきたゆりあさんには、辛い別れとなりました。
この悲しみを乗り越え、ゆりあさんは「2代目りく」と新コンビを結成し、新たなスタートを切ります。
りくの小さい頃の服を着て、りくの使ってたリードを使ってる くうちゃん
りく→くう しりとりのように名前は繋がって、これからゆりあさんとの絆も芸も繋がっていくと思う。
りくもゆりあさんやくうちゃんが繋げてくれて笑顔が安心すると思う。
繋がりを大切に教えてくれる番組に感動#志村どうぶつ園 pic.twitter.com/C5MueuSYm2— みのこ (@onoshomasa) 2019年5月18日
ゆりありく初代りくとの出会いは?2代目りくとの新コンビに注目!【日光さる軍団】まとめ
- 猿回しコンビ「ゆりありく」は、栃木県日光市の猿回し団体「日光さる軍団」所属
- 「日光さる軍団」は元々「日光猿軍団」だった
- 「日光猿軍団」が猿の高齢化により閉園を検討、ライバル関係にあった太郎次郎一門が経営を引き継いで「日光さる軍団」として2015年にリニューアルした
- 「ゆりありく」のゆりあさんは、太郎次郎一門に入門した
- 新人だったゆりあさんは、野生だったところを保護された1歳の「りく」とコンビを結成した
- 一緒に歩くこともままならない「りく」を、辛抱強くしつけていった
- 「ゆりありく」はメディア出演が増えていき、二人の絆も強く深くなっていった
- 「りく」は高齢のため2018年で引退した
- 「りく」と最後に訪れた巡業先が奈良県十津川市で、その時に保護されたのが「2代目りく」だった
- 「りく」は2019年4月に亡くなり、ゆりあさんは悲しみを乗り越え「2代目りく」と新コンビを結成、「2代目りく」は『志村どうぶつ園』でメディア初登場
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