6月8日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』は、ダイビング中に漂流したものの奇跡的に生還した”激レアさん”、福地裕文さんがゲストに登場します。
ダイビング中に漂流してしまい56時間、230kmも流されてしまったのにも関わらずクジラに助けられるという、ディズニーも驚きのファンタジーな実話を体験された福地裕文さんです。
今回は、そんな”激レアさん”福地裕文さんとは、いったいどのような人物なのか紹介したいと思います。
クジラに助けられたのは誰?福地裕文の年齢は?
プロフィール
- 名前:福地裕文(ふくち ひろふみ)
- 性別:男性
- 生年月日:1950年12月5日(現在68歳)
- 出身:沖縄県那覇市
- 血液型:O型
- 職業:ダイビングショップ経営・ダイビングインストラクター
- 経歴:那覇私立興南高等学校卒業
今年で69歳になる福地裕文さんは、ダイビング経営者でありながらダイビングインストラクターでもあるという方です。
ダイビングの経験はこれまでに1万回以上と、20代からの長年に渡る豊富な経験の持ち主です。
クジラに助けられたいきさつ
福地裕文さんがメディアで語られる時、それはすなわち”漂流からの奇跡の生還”についてです。
事件が起こったのは、1983年7月15日(昭和58年)、福地裕文さんが32歳の時でした。
この日、福地裕文さんは友人達とダイビングをするため、静岡県・伊豆諸島の鵜渡根島という無人島に来ていました。
この鵜渡根島は、北の利島と南の新島との間に挟まれた小さな島です。
そして、ここは潮の流れが速いダイビングスポットでもあります。
ダイバー達は、安全のために二人一組でダイビングするのが一般的です。
パートナーのことは、「バディー」と呼ばれています。
何事もなくダイビングをしていた福地裕文さんでしたが、つい珍しい魚に気を取られているうちにバディーとはぐれてしまいました。
そして同時に、速く激しい潮の流れに飲み込まれてしまったのです。
なんとか浮上しようと懸命に泳いで、やっと水面に出ることができました。
ところが、目の前にはあるべきはずの仲間が乗る船がありません。
なんと、福地裕文さんはこの時、船から数百メートルも離れた場所に浮上してしまっていたのです。
潮の流れは速く複雑でもあるため、じっとしてるだけでも福地裕文さんは流されてしまいます。
こうして、福地裕文さんの漂流が始まりました。
船で漂流するだけでも大事ですが、この時の福地裕文さんはダイビングスーツに身を包んでいるだけの状態でした。
文字通り身一つで漂流し始めた時の心境を考えると、それだけでゾッとしてしまいますね。
漂流から2時間経過すると、鵜渡根島の北にある利島が見えてきました。
ですが、潮の流れが複雑で、思うように利島に近づくことができません。
そうこうするうちに、日が落ち夜になりました。
夜が明け漂流は、2日目(7月16日)に入りました。
一睡もできず朝を迎えた福地裕文さんは、近くに船が通ることを期待しました。
すると、昼頃に大型貨物船の姿が見えてきました。
このチャンスに、福地裕文さんは必死に手を振って助けを求めました。
しかし、大きな船からは水面に浮かぶ福地裕文さんの姿は見えなかったようで、見つけてもらえず通り過ぎていってしまったのです。
がっかりしていると、空に飛行機が通りました。空の上からならきっと見つけてもらえると思い、低空飛行の飛行機に気づいてもらえるように手を振りました。
しかし、またしても見つけてもらうことはできませんでした。
そして、漂流から3日目(7月17日)となりました。
事件があったのは7月の伊豆諸島です。
すでに2日、何も口にしていない福地裕文さんを、太陽は上から容赦なく照りつけます。
空腹に加えて喉の渇きもひどくなり、体力も奪われていきました。
海水を飲むわけにはいきませんが、幸運なことに雨が降ってくれました。
福地裕文さんは雨でなんとか喉の渇きを潤し、少しだけホッとしていました。
それから、現在位置を確かめようとコンパスで確認すると、なんと太平洋に出てしまいそうになっていることが分かったのです。
この状態で太平洋に出てしまっては、生還できる確率はさらに下がってしまいます。
絶望に押しつぶされそうになっていた、その時でした。
福地裕文さんの目の前に、体長5mはあろうかというクジラが現れました。
しかもクジラは4頭もおり、なんと福地裕文さんの周りをグルグルと泳ぎ始めたのです。
漂流していると、海に大きな生き物がいることを忘れてしまいますよね。
サメやシャチのような獰猛な生き物と遭遇するなんて、恐ろしいことです。
クジラだってあんなに大きいのですから、食べられてしまうのではないかと思ってしまいますよね。
ところが、なんだかクジラ達の様子がおかしいことに気づきました。
クジラ達は、”獲物”の自分を威嚇しているようではないのです。
1時間経っても福地裕文さんの周りを泳ぎ続け、なんだか遊んでいるようでした。
さらにクジラ達は泳ぎ続け、遭遇から2時間が経ったころに去っていきました。
福地裕文さんは周りを見渡し、クジラ達の姿を探していました。
やはりクジラ達は去っていったようです。
ところが、信じられない光景を目にしました。
目の前には、漁船らしき姿があるではありませんか。
もう一度よく見ると間違いなく漁船です。
衰弱していた福地裕文さんですが、力を振り絞って漁船に手を振りました。
すると、漁船(マグロ漁船・第三十八全徳丸)も福地裕文さんのことを見つけ、無事救出されました。
漂流から56時間が経過し、最初の地点からは230kmも流されていました。
このファンタジーのような実話は、後に書籍にもなり、新聞やテレビといったメディアでも取り上げられました。
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ダイバー漂流 極限の230キロ
テレビでは、フジテレビの『奇跡体験!アンビリバボー』でも取り上げられたそうです。
クジラに助けられた福地裕文の現在は?
漂流からの奇跡的な生還を果たした福地裕文さんは、東京都中野区でダイビングショップ「Sea Roman(シーロマン)」を経営されています。
ダイビングスクール「Sea Roman(シーロマン)」
- 〒164-0012
- 東京都中野区本町5-37-11 飯田ビル1F
- ☎0120-67-0148 & 03-3380-0148
- FAX:03-3380-9566
- 営業時間:11:00~21:00
- 定休日:1月~3月まで火曜日定休
新中野駅すぐそばにある「シーロマン」は、今年で42周年を迎えるダイビングスクール・ダイビングショップです。
42周年なので、福地裕文さんは26か27歳で起業されたようですね。
ダイビングスクールは、子供からシニアまで幅広い年齢を対象としており、1名から団体まで対応しているそうです。
ライセンス取得にはプール実習から海洋実習まで、初心者にもやさしいマンツーマンの少人数制プログラムが用意されています。
ライセンス取得ツアー(2日間の短期)や体験ダイビングを行っており、シニアの方も多数参加しているのが分かります。
また、「シーロマン」では、安心安全な国内メーカーのダイビング器材を取り扱うダイビングショップでもあります。
店舗はダイビング仲間の憩いの場ともなっているようで、お酒を飲みに仲間が集まって楽しく過ごされているようです。
海の恐さを誰よりもよく知る福地裕文さんだからこそ、安心安全なダイビング指導ができ、「シーロマン」は42周年を迎えているのでしょう。
以上、今回は漂流から奇跡の生還を果たした”激レアさん”、福地裕文さんを紹介させていただきました。
まとめ
- 福地裕文さんは沖縄県那覇市出身の68歳
- 東京都中野区の新中野駅近くでダイビングスクール&ショップの「Sea Roman(シーロマン)」を経営している
- 福地裕文さんは1983年7月15日~17日の3日間、56時間230kmを漂流したが奇跡的に生還した
- 大型貨物船や飛行機に気づかれず絶望していたが、3日目にクジラ4頭が2時間周りを泳いで去っていった後にマグロ漁船に救出された
- 経営している「シーロマン」は今年42周年を迎え、ライセンス取得のための指導とダイビング器材の販売を行っている
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