7月14日放送のTBS系列『消えた天才』には、元ヤクルトの古田敦也さんや長嶋一茂さんが打てなかった天才投手・志村亮さんが登場します。
志村亮さんは、80年代後半の大学野球で圧倒的な活躍を見せた左腕投手でした。
もちろんプロ野球からも注目され、プロ入りは確実と思われていました。
しかし、ある理由で、志村亮さんはプロ野球の道には進まない決断をしたのです。
『消えた天才』志村亮さんとは、いったいどのような方なのでしょうか。
古田敦也や長嶋一茂が打てなかった慶応大投手・志村亮の通算成績は?
慶応大学投手・志村亮のプロフィール
- 名前:志村亮(しむら りょう)
- 生年月日:1966年8月3日(現在52歳)
- 出身:神奈川県平塚市
- 身長:178cm
- 体重:75kg
- 利き手・打席:左投げ左打ち
- ポジション:投手
- 職業:会社員
志村亮さんは、神奈川県平塚市出身の52歳の会社員の男性です。
幼い頃から、「将来はプロ野球選手になる」という夢を抱き、野球に打ち込む日々を過ごしました。
桐蔭学園高校時代
高校は神奈川県の強豪・私立桐蔭学園高校に進学しました。
2年生の春に甲子園・春のセンバツに出場します。
控え投手としての登板ではありましたが、貴重な経験となりました。
高校3年の夏は、全国屈指の競争率を誇る神奈川県大会を制して、甲子園出場を決めました。
1回戦を1失点、2回戦を無失点と相手を寄せ付けないピッチングで3回戦まで進出します。
この試合でも2失点と好投しましたが、味方の援護がなく敗退となりました。
慶応義塾大学時代
高校卒業後は、慶応義塾大学に進学し野球を続けました。
1年生の春から六大学リーグで先発すると、開幕戦で56年ぶりとなる新人の初登板初勝利を完封で飾りました。
衝撃的なデビューの勢いそのままに、秋には26季ぶりの慶応の優勝に貢献します。
2年生以降も、4年生まで慶応の絶対的エースとしてチームを引っ張り続けました。
大学時代には、立命館大学の古田敦也選手(ヤクルト)や立教大学の長嶋一茂選手(ヤクルト→巨人)らとも対戦しましたが、志村亮さんの圧勝だったそうです。
他にも、同時期の大学野球には、早稲田の小宮山悟投手(ロッテなど)、明治の武田一浩投手(日ハムや中日など)、法政の石井丈裕(西武)、同じく法政の高村祐(近鉄)と、90年代から2000年代に活躍した投手らがたくさんいました。
これだけの顔ぶれがいる中で、慶応の志村亮さんは他を寄せ付けない圧倒的な左腕投手として大学を通じて活躍しました。
早稲田の小宮山投手が大学通算20勝に対し、慶応の志村亮さんは31勝とそのすごさは歴然です。(大学通算は31勝17敗、防御率1.82、295奪三振)
誰もが志村亮さんは、プロ野球に進むものと思っていました。
各球団のスカウトも即戦力として志村亮さんを迎え入れようと奮闘していました。
しかし、志村亮さんは大学卒業と同時にユニフォーム脱ぐという決断をしたのです。
慶応大学投手・志村亮の今現在は?
1988年のプロ野球ドラフト会議では、8球団が慶応の志村亮さんを1位で指名しました。
しかし、志村亮さんはそれを拒否し、代わりに三井不動産に就職します。
1989年の入社以降、志村亮さんは三井不動産で8年間ビルディング事業に携わりました。
その次に、分譲住宅の用地取得を担当します。
現在の志村亮さんは、三井不動産リアルティ株式会社ソリューション事業本部で部長を務めています。
勤続30年を振り返り、プロ野球に進まなかったことは後悔していないそうです。
会社員になってからは、クラブチームなどで野球をプレーし続けました。
現在では少年野球チームの指導もされています。
志村亮さんがプロ野球入りしなかったのは、高校・大学と進むにつれてプロのレベルや環境がいかに厳しいものかを強く感じるようになったからだそうです。
「挑戦してみたい」という純粋な気持ちだけではやっていけないと感じた志村亮さんは、大学で野球を辞め、会社員となりました。
しかし、野球への愛は変わらないようです。
今回は、『消えた天才』に登場する志村亮さんについて紹介させていただきました。
番組の放送を楽しみに待ちましょう!
古田敦也や長嶋一茂が打てなかった慶応大投手・志村亮の通算成績や今現在は?まとめ
- 『消えた天才』志村亮さんは、慶応大学の左腕投手として活躍した52歳の会社員の男性
- 神奈川県桐蔭学園高校で甲子園出場経験がある
- 慶応大学進学後は1年生からエースとして活躍し、大学通算で31勝を挙げた
- プロ野球の8球団からドラフト1位で指名されたが、拒否して三井不動産に入社した
- プロにならなかったのは、プロ野球の厳しさを強く感じるようになったから
- 現在は井不動産リアルティ株式会社ソリューション事業本部で部長を務めている
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