日本のマラソン界の期待の星の1人は、昨年の東京マラソンで日本歴代4位の2時間06分54秒を出して日本人2位となった井上大仁(いのうえ ひろと)選手です。
この時はそれでも全体5位でしたが、メダルを狙える選手が登場したことで大きな話題になりました。
井上選手は高校までは全国駅伝にも出場したことがなく注目されてはいなかったのですが、大学になってその真価が発揮されて徐々に好成績を出しています。
今日は、井上選手の中高時代と大学時代の経歴と実績などを調べてみたいと思います。
井上大仁の出身中学や高校は?
- 名前:井上大仁(いのうえ ひろと)
- 生年月日:1993年1月6日(26歳)
- 出身地:長崎県
- 身長:165cm
- 体重:51kg
- 学歴:飯盛中学校 → 鎮西学院高校 → 山梨学院大学
- 所属:MHPS(三菱日立パワーシステムズ)
井上選手は中学は諫早市飯盛中学校に通い、そこで陸上を始めましたが、特に長距離を主に専門としていたようです。
中学校の5000mは14分台で中学生としてはかなり早い方ですが、中学生のトップランナーは13分台ですから中学生の中で突出していたという訳ではなさそうです。
高校は同県にある鎮西学院高校に進学します。
長崎県での駅伝の絶対強者の高校は諫早高校なので、残念ながら全国駅伝に出場したことはありません。
しかし、高校3年時、長崎県の高校駅伝でエース区間の1区を走り、諫早高の的野選手を破って区間賞を取り、皆を驚かせています。
そうした実績が知られて、大学進学の際には青山大学や早稲田大学など複数の大学から誘われたそうですが、その中で山梨学院大学を選びました。
大学時代には4年連続で箱根駅伝に出場しています。
井上大仁・山梨学院大学時代の箱根駅伝の成績や記録
山梨学院大学では上田監督の指導を受けます。
井上選手は高校時代から、出場する大会のたびに雨天になることが多く、周りからは雨男と言われていました。
上田監督からは雨でも走れる選手になろうと言われ、雪や雨の天候の中を走って激しい訓練をしたと言います。
そうした中で井上選手は「逆境に強い」と言われ、山梨学院歴代最強の日本人との呼び声が上がります。
井上選手は4年連続で箱根駅伝に出場しており、大学1年ですでに1区を走ります。
結果は10位とまずますの走りで、シード権獲得に貢献しています。
大学2年の時には留学生が強い山梨学院の中で、日本人のエースとなります。
更に3年では全日本本選でエース区間の2区で優勝を果たします。
同年、箱根駅伝ではオムワンバと共にダブルエースと大変期待されたのですが、オムワンバが2区で予想外の途中棄権となり、3区の井上選手とそれ以降の記録は参考記録となってしまいました。
またこの年には全日本大学駅伝でエース区間の2区を走り、強豪の早稲田と日本体育大学の選手と共に同タイムの区間賞を獲得します。
4年生の時には主将を務め、丸亀ハーフマラソンでは優勝、関東インカレでは10000mで2位と留学生のような成績を残しています。
箱根駅伝では、何と前年に続いてオムワンバが1区でレース直前にアキレス腱を負傷し、急きょ選手を入れ替えて走るようになりました。
そのため3区の井上選手が襷を受け取る時には最下位からのスタートでしたが、3人抜きの区間3位と貢献。
これを見た上田監督は「炎の塊が走っているようだった」と言っています。
主将の井上選手の魂が乗り移ったかのように、後続の選手も激走して10区でついに10位に入りシード権を奪い取るという奇跡の展開を見せます。
その後、井上選手はMHPS(三菱日立パワーシステムズ)に入社します。
そこで2018年の東京マラソンで2時間06分54秒という日本歴代4位の記録を出し、同年8月に行われたアジア大会のマラソンでは2時間18分22秒の記録で優勝します。
この時の優勝は1986年のソウル大会で中山竹通選手が優勝した時以来32年ぶりの優勝で、井上選手に対する期待が一挙に高まりました。
まとめ
日本のマラソン界にはかつてのように絶対強者がおらず、タイムの面でも世界のトップクラスと比べるとやや水を開けるられているという感じが否めません。
そうした中で、26歳というまだ今後の伸びしろが期待できる井上選手がここ2年で良い記録を出してきていることは、今後の日本マラソン界にとってもうれしいニュースです。
よく見るとまだ記録の面で浮き沈みがあるように思われますが、後一年未満のこれからの期間、十分に練習を重ねて来年の東京オリンピックのフィナーレで日の丸を立ててもらいたいと思います。
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