設楽悠太は東洋大学卒で出身中学や高校はどこ?箱根駅伝の成績や記録と画像も

日本のマラソン界は世界のトップが2時間1分台を出している中で、ここ20年近くは世界との差がどんどん開いている感じですが、そうした中で日本のトップレベルを走っているのが設楽悠太(したら ゆうた)選手です。

元日本記録の2時間6分11秒(現在2位)の記録を持ち、コンスタントに2時間10分を切っていて安定感があります。

双子の兄の啓太選手とは小学校から一緒に陸上を始め、お互いに刺激をし合いながら長距離選手として活躍しています。

この記事は、設楽悠太選手の中高時代や東洋大学時代の箱根駅伝での記録や実績について紹介したいと思います。

設楽悠太は東洋大学卒で出身中学や高校はどこ?

プロフィール
  • 名前:設楽悠太(したら ゆうた)
  • 生年月日:1991年12月18日(27歳)
  • 出身地:埼玉県大里郡寄居町
  • 身長:170cm
  • 体重:48kg
  • 経歴:寄居町立男衾(おぶすま)中学校→武蔵越生(むさしおごせ)高等学校→東洋大学(経済学部経済学科)
  • 所属:Honda
  • 自己ベスト:フル 2時間6分11秒、ハーフ 1時間00分17秒

 

設楽悠太選手は、埼玉県大里郡寄居町出身で、身長170㎝、体重48㎏です。

身長の割に体重が軽量ですが、マラソン選手としては理想的な体型と言えるでしょう。

設楽悠太選手は寄居町立男衾(おぶすま)小学校から同町立男衾(おぶすま)中学校に進学しました。

小6の時にゲームばかりしているのを心配した両親が近くの陸上教室に通わせたのがきっかけで、お兄さんの啓太選手と一緒に始めたそうです。

最初のころは走るのが好きではなく、無理矢理始めたこともあって、態度が不真面目でコーチから叱られてばかりいたそうです。

今では想像もできませんが、悠太選手にもそういうこともあったんだなと思いますね。

中学校は普通の公立中ながら箱根駅伝を走る選手を15人も出しているところで、陸上部の恩師、川音先生との出会いの影響は大きかったようです。

川音先生はいつも、設楽兄弟に「将来は必ず日本のトップ選手になれるから」と言って激励していたようで、その中で設楽兄弟も徐々に実力を発揮していきます。

同校で初めて全国中学校駅伝大会に兄の啓太選手と一緒に出場し、悠太選手は4区を2位で走って男衾中学校は10位に入っています。

続く高校では地元の武蔵越生(むさしおごせ)高校に兄と一緒に進学し、高3の時には兄・啓太選手と一緒に同校初の全国高校駅伝大会に出場しました。

しかもこの時は、県大会で16連覇をしていた埼玉栄高校を破っての出場でしたから、地元では大きな話題になったことでしょう。

ただ全国大会では29位に留まり、全国的には設楽兄弟はまだ無名だったようです。

設楽悠太の箱根駅伝の成績や記録について

大学では駅伝の名門大学・東洋大学の駅伝部監督の誘いもあって兄弟共に同大学経済学部経済学科に入学しました。

兄弟共に1年生からレギュラーとなり大学三大駅伝にも全部で12回も参加しています。

2012年の大学2年の時の箱根駅伝では、7区を走って区間記録を更新し、東洋大学の総合優勝に貢献しています。

その後、2013年1月には兄・啓太選手が主将、悠太選手は副将に指名されて、東洋大の駅伝チームを引っ張って行きます。

3年生での主将・副主将ですから、東洋大の駅伝部としては最速の抜擢だったようです。

その成果なのか、大学最後の2014年の箱根駅伝では悠太選手は3区を走って首位になり、同大の往路優勝、総合優勝に貢献しました。

設楽兄弟が東洋大にいる4年間で2度も総合優勝をするという快挙を上げたんですね。

こうした華々しい実績を上げる設楽悠太選手ですが、彼にも弱点はあるもので、大の野菜嫌いだったようです。

監督からも「野菜を食べろ」と言われ、周りからの支えもあって野菜を食べるようになったという話も残っています。

設楽悠太箱根駅伝成績まとめ

  1. 第87回東京箱根駅伝(2011年/平成23年):3区(区間8位)1時間04分00秒
  2. 第88回東京箱根駅伝(2012年/平成24年):7区(区間賞)1時間02分32秒(区間新記録)
  3. 第89回東京箱根駅伝(2013年/平成25年):3区(区間賞)1時間04分36秒
  4. 第90回東京箱根駅伝(2014年/平成26年):3区(区間賞)1時間02分13秒

その後、大学を卒業してからはHondaに入社しますが、それまで常に一緒にいた兄・啓太選手はコニカミノルタに入社し、それぞれ違った場所で長距離ランナーとして歩むことになります。

まとめ

設楽悠太選手がフルマラソンを始めたのはHonda入社後の2017年2月東京マラソンでしたが、そこでいきなりの2時間9分台を出しました。

その後の18年の東京マラソンではなんと2時間6分11秒の当時日本新記録を出しています。

今年になってもオーストラリアで開催のゴールドコーストマラソンで2時間7分50秒の大会新記録でマラソン初優勝をしており、マラソンに本格的に参入してまだ3年ほどですが、かなりのハイレベルで安定した記録を出していることが分かります。

このように設楽悠太選手は日本のマラソン界を代表する選手として実績は十分ですので、来年の東京オリンピックに向けて頑張ってもらい、オリンピックのフィナーレを飾ってもらいたいと思います。

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