古田敦也が勝てなかった石井章夫(慶応大→東京ガス)の今現在や高校はどこ?消えた天才

プロ野球選手で監督だった古田敦也さんと言えば、ヤクルトスワローズ時代に野村監督の下で万能な才能を発揮し、監督をしながら自身も選手だったことがある名選手でした。

そんな古田敦也選手にも若かりし頃、「この人には勝てない」という人物がおり、7月28日の『消えた天才』に登場します。

古田敦也選手にそう言わしめた「天才キャッチャー・石井章夫」とはどんな人物なのか?

どんなすごい人だったのか?

今は何をしている人なのかなど、気になる事を調べてみました。

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天才キャッチャー・石井章夫(慶応大→東京ガス)の今現在は?

プロフィール
  • 名前:石井章夫(いしい あきお)
  • 生年月日:1964年9月30日
  • 年齢:54歳
  • 出身:神奈川県綾瀬市
  • 経歴:桐蔭学園高校→慶応大学→東京ガス(1987-1998)→東京ガス監督就任(2003-2005)→社会人野球日本代表監督主任(2017-)、侍ジャパンu23コーチ就任(2017-)

 

古田敦也さんが社会人野球時代に一緒に野球をしています。

古田敦也さんは立命館大学に進学、トヨタ自動車で社会人野球選手として活躍していました。

一方、石井章夫さんは慶応大学から東京ガスに入社し、社会人野球選手として活躍していました。

この時に古田選手と石井選手が対戦していると思われます。

古田敦也さんはトヨタ自動車からスカウトでヤクルトに入団しましたが、石井章夫さんは1986年のドラフト会議で横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)から2位指名を受けるも、家庭環境を理由に入団拒否しました。

家族のために、不安定なプロ野球人生をあえて選ばなかったと言われています。

本当はプロで活躍してみたかった石井章夫さんですが、故障やチーム内での競争に負けて減棒になるプロ生活よりも、安定した社会人野球ができる東京ガスへと就職します。

世間では石井章夫さんが「ドラフトを蹴った男」としていわれのない悪口やバッシングにあったそうです。

古田敦也さんが言うには、「ホームベースから盗塁を刺す送球が見た事のない速さだった」「僕はこの人を超えなければプロになれない」「石井さんがいたからいまの自分がいる」と当時の石井章夫さんの凄さを語っています。

実は、石井章夫さんには弟がいて、元西武ライオンズの選手だった石井貴さんでした。

石井章夫さんは父を早くに亡くし12年に渡り東京ガスの社会人野球選手として活躍、その後は素晴らしい実績を残され、現在も監督として第一線で活躍されています。

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天才キャッチャー・石井章夫の出身高校はどこ?


石井章夫さんの出身高校は、野球の強豪校、進学校で知られる桐蔭学院高校です。

桐蔭学園高校は1971年夏に初出場し、初優勝するという快挙を成し遂げています。

過去には春6回、夏6回の甲子園出場歴がある名門強豪校となります。

現役時代の1年生時に県大会決勝まで進出しますが、横浜高校に敗れ、甲子園に出場する機会はありませんでした。

しかし、石井章夫さんたちの世代では甲子園出場までは行きませんでしたが、礎を築いたとも言われています。

その後、石井章夫さんは慶応大学に進学、多くのプロ野球選手を輩出している大学で知られています。

石井章夫さんの大学時代の成績は東京六大学リーグ60試合出場、199打数、45安打、打率.226、3本塁打15打点、ベストナイン2回出場とのことです。

追記
桐蔭学園高校時代はエースだった
家庭を支えることができなくなるためプロ野球入りをあきらめた
弟の石井貴さんは現在、東北楽天ゴールデンイーグルス2軍コーチに就任している

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古田敦也が勝てなかった石井章夫(慶応大→東京ガス)の今現在や高校はどこ?消えた天才|まとめ

光と影があるように、メジャーリーグやプロ野球において、いつまでも戦い続けるのが難しいのが魅せる野球の世界です。

光がずっとあたる選手や実力のある選手はほんの一握りです。

中には精神的に追い込まれ荒修行や肉体的に追い込んだり、別の方法を選んで流されてしまう選手もいます。

石井章夫さんは、夢であったプロ野球を捨ててでも、手に入れたかった物は何だったのでしょうか。

石井章夫さんの現在までの経歴を見れば誰もが納得するでしょう。

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