中野善壽の読み方や経歴は?250円倉庫や富裕層向けサービスが凄い

4月11日に放送される、『カンブリア宮殿』(テレビ東京22:00~22:54)のゲストは、寺田倉庫のCEOである中野善壽さんです。

中野善壽さん率いる寺田倉庫は、段ボール一個から預けられる倉庫や富裕層向けの倉庫まで幅広いニーズに対応しています。

しかし、寺田倉庫はただ物を収める倉庫ではありません。
倉庫側からアプローチして、空間デザインやアイデアの提案も行っています。

元々は殺風景な倉庫街だった、東京・品川の天王洲アイルですが、現在では観光客が訪れるオシャレスポットへと華麗な変貌を遂げています。

この街づくりをプロデュースしたのが寺田倉庫であり、それを率いるのが中野さんなのです。

その経営手腕は経済界から高く評価されており、発想は型破りなものです。

「5年で辞めてくれ」が中野さんの口癖だそうですが、寺田倉庫の入社式は年4回行われ、社員の入れ替えが激しいことでも知られています。

こう書くと、まるで”使い捨て”のようなイメージを持たれるかもしれません。
しかし、そうではないのです。

例えば、マラソンは42.195kmという距離が決まっているから、頑張って走ることができます。

人間は、目標や期限があるから、その中で全力を出すことができる、というのが中野さんの考え方のようです。

ですから、辞めていく寺田倉庫の社員は、独立などの前向きな理由で辞めていくそうです。

寺田倉庫には、富裕層向けのサービスもあります。
噂を聞きつけた世界中のセレブたちが、その資産を寺田倉庫に預けているそうです。

ですが、中野さんがメディアで取り上げられることも、人前に出てくることもなく、その存在は有名ながらベールに包まれてきました。

今回は、寺田倉庫CEO中野善壽さんについて紹介したいと思います。

寺田倉庫CEO中野善壽の読み方や経歴について

  • 名前:中野 善壽(なかの よしひさ)
  • 生年月日:1944年(現在74歳か75歳)
  • 経歴:千葉商科大学 icon-angle-double-right 伊勢丹 icon-angle-double-right 鈴屋 icon-angle-double-right 力覇集団(台湾) icon-angle-double-right 遠東集団(台湾) icon-angle-double-right 寺田倉庫CEO

中野善壽(なかの よしひさ)さんは、1944年に生まれ、祖父母によって育てられたそうです。
幼い頃から、両親がいない家庭環境だったそうです。

その後、小学生の頃には育ててくれた祖父母も亡くされました。
祖父の勧めで始めた野球は、特別好きというわけではなかったそうですが、大学まで野球に打ち込むことになりました。

一時はプロ野球選手を目指していたそうですが、千葉商科大学時代にボールが額にあたる大怪我を負ったため、野球は辞めることになったそうです。

大学卒業後は、伊勢丹に就職しました。
入社から5年後に退社し、婦人服専門店の鈴屋に移りました。

鈴屋ではバイヤーとして頭角を現し、商品開発担当として海外事業にも関わります。
中野さんは、鈴屋で専務になり、日本初のファッションビルである「青山ベルコモンズ」の開設にも携わりました。

鈴屋はその後、バブル期のファッションをリードする存在になりますが、投資などにも進出したためバブル崩壊とともに破綻してしまいます。

中野さんは、台湾の大手財閥が率いるコングロマリットの力覇集団にスカウトされました。

1991年に鈴屋を退職した中野さんは、台湾に渡って百貨店経営に携わります。
鈴屋でのファッションブランド経営ノウハウを活かし、その手腕を発揮しました。

2002年には、台湾の別の財閥である遠東集団の百貨店事業に関わるようになりました。

2011年、寺田倉庫のCEOに就任します。
中野さんは、寺田倉庫のオーナーである寺田保信氏と、鈴屋時代から30年以上に渡って家族ぐるみの親交を持ってきました。

寺田保信氏は、自身の息子に会社を譲る前に、中野さんに事業再編を依頼したのです。
それは、既存の倉庫業では、新しい時代に適応できないと考えたからでした。

中野さんはCEOに就任すると、まず大規模なリストラに着手しました。
1000人いた従業員は100人にまで減りました。
さらに、メイン事業のほとんどから撤退し、700億円あった売上高を100億円に減らしてしまったのです。

常識では考えられないことですが、これは中野さんの価値観と大きく関係しているようです。

中野さんは、徹底した”ミニマリスト”としても知られています。
家、車、時計は持ちません。
寺田倉庫には社長室はなく、椅子のない机に向かって立ったまま仕事をするそうです。

基本は台湾でホテル暮らしです。
週末は台湾に戻る、というスタイルを続けています。
ホテルは、台北のグランドハイアットだそうです。

お金にも執着しません。
貯金はせず、生活に困らないだけのお金だけ残して、収入のほとんどを寄付してしまいます。
ですから、中野さんの年収などは不明です。

寄付先は街づくりやアート関連が多いそうで、そのため中野さんはパトロンとしても有名なのです。

「100億以上稼げば面白いことはできない」が信条で、そのため売り上げが100億を超えるようなら調整するそうです。

中野さんがこのように考えるようになった契機の一つは、同年代の様子でした。
中野さんは、人の福は誰しも同等に与えられていると考え、同年代の人々はそれを早くに使い切ってしまっているように思えたそうです。

普通なら、なんでも抱え込んでしまいますし、稼げば稼ぐほど欲しいものは増えそうなものです。
ですが、同時にそれによってしがらみが増えてしまい、かえって不自由になるという考えなのでしょう。

ですから、100億円で売上を抑えて、自由な発想を促すというスタイルに行き着いたのかもしれません。

また、こうした価値観から、中野さんはこれまでマスコミなどのメディアとも距離を置いてきました。

寺田倉庫の250円倉庫や富裕層向けサービスが凄い!

中野さんがCEOに就任する以前の寺田倉庫の事業は、トランクルームや文書保管倉庫、不動産などでした。

中野さんは、まず寺田倉庫をアート保管倉庫へと変貌させました。
「ZOZOTOWN」で知られる、スタートトゥデイの前澤友作社長が所有する123億円のバスキアの絵も、寺田倉庫に保管されています。

人脈は、中国やシンガポールの華僑の富豪にもあります。
彼らがアートを資産の一部にするのは、政情が変化したとしても、アートの価値は安定しているからです。
そして、安全な日本の倉庫に依頼するのですが、中野さん率いる寺田倉庫は彼らの信頼を得ています。

さらに、寺田倉庫は東京・品川の天王洲アイルにアートを集中させるべく、2020年までに20ギャラリーを集める予定だそうです。

現在すでに、天王洲アイルは、かつての倉庫街から観光客が訪れるオシャレな街へと姿を変えました。
このような”街づくり”も寺田倉庫の事業の一つとなっています。

中野さん自身はお酒を飲みませんが、ワインについても、その価値についても熟知しているそうです。
寺田倉庫では、富裕層のワインという個人資産も保管しています。

倉庫事業を、テクノロジーとも関連させています。
バーチャル倉庫「ミニクラ」では、個人の所有物を段ボールで送ると、預けた品物が一つずつ画像データで顧客の元に送られてきます。

利用客は、預けた物をスマートフォンで管理することができ、好きに取り出したり、指定した別の場所に送ることも可能です。

これまでの倉庫は、企業が利用するものでしたが、それを個人がデジタルデータで管理できるものに変えました。
料金は段ボール1箱につき、200円/月からだそうです。

200円から始める。箱で預ける自分の倉庫。minikura

その他に月額250円〜の「サマリーポケット」という収納サービスがあります。

サマリーポケット(サマポケ)月額250円〜の収納サービス

中野善壽の読み方や経歴は?250円倉庫や富裕層向けサービスが凄い!まとめ

中野善壽さんは、寺田倉庫のCEOです。

6社を渡り歩いてきたノウハウを活かし、型破りな経営手法で倉庫事業に変革を起こしました。

徹底した”ミニマリスト”ぶりも有名で、家・車・時計は持たず、収入も生活に必要な分を残して全て寄付しています。

寄付先は街づくりやアート関連などで、現在の寺田倉庫の事業とも関連しています。

普段は台湾・台北市のホテルに暮らし、週末は台湾に帰るというスタイルだそうです。

寺田倉庫の事業は、アートやワインといった富裕層の個人資産の保管を行っています。

その他に、「サマリーポケット」という収納サービスや「ミニクラ」という個人向けのスマートフォンで管理できるバーチャル倉庫の運営もしています。

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