安河内駿介の経歴やクラウドファンディングでのメジャー挑戦とは?

日本のプロ野球選手が、アメリカのメジャーリーグに挑戦することも、今では珍しいことではなくなりました。

過去にもメジャーリーグに挑戦した選手はいましたが、90年代にパイオニアとして野茂英雄氏が渡米して成功したことにより、その可能性が大きく切り開かれたのは間違いありません。

イチロー選手や松井秀喜氏らの成功により、メジャーリーグへの距離はずっと近いものになりました。

今年は、昨年まで西武でプレーしていた菊池雄星投手がシアトル・マリナーズでメジャーリーグに挑戦します。

しかし、今年メジャーに挑戦するのは菊池投手だけではありません。
安河内駿介投手もその一人です。

安河内投手は、日本のプロ野球を経由せず、アマチュアからのメジャー挑戦となります。
プロ野球のドラフト候補でもあった安河内投手は、多くの苦難を乗り越えて今回のメジャー挑戦に辿り着きました。

異色の球歴を持つ安河内投手が、どのようにしてメジャー挑戦に至ったのか。
その球歴も含めて紹介していきたいと思います。

現役引退

2019年4月2日、ご自身のブログでメジャーリーグへの挑戦を終え、現役引退を表明しました。

今後は『YouTuber』とのことです。

これからのご活躍に期待しましょう。

安河内駿介のプロフィール・経歴について

  • 名前:安河内駿介(やすこうち しゅんすけ)
  • 生年月日:1994年2月8日(現在25歳)
  • 出身地:福岡県福岡市
  • 身長:174cm
  • 体重:77kg
  • 血液型:O型
  • ポジション:投手(右投げ両打)
  • 経歴:香椎浜小学校 icon-angle-double-right 城香中学校 icon-angle-double-right 秀岳館高校東京国際大学 icon-angle-double-right 武蔵ヒートベアーズ(BCリーグ)
  • 趣味・特技:急須でお茶を入れる

福岡県に生まれた安河内投手は、小学校4年生から野球を始め、高校は野球の強豪としても有名な熊本県の秀岳館高校に進学します。
秀岳館高校でも野球部に所属しましたが、チームでは主に控え投手で、高校時代に甲子園出場は叶いませんでした。
高校時代は、注目されるような存在ではありませんでしたが、東京国際大学への進学とともに変化していきました。

1年生の春から、東京新大学リーグで登板機会が与えられると、2年の秋にはリーグ戦で7試合の先発を任されるようになります。
2年生にも関わらず、リーグ戦で4勝を挙げました。
これは、当時創価大4年で、現在ソフトバンクホークスでプレーする石川柊太投手と並ぶリーグ2位の好成績でした。

順調にその能力を磨いていましたが、ここから歯車が狂い始めます。
右肘の靭帯と右肩を故障した安河内投手は、この後2年間リーグ戦でプレーする機会がありませんでした。
怪我が治らないことから野球を諦め、大学卒業後は地元の大手企業に勤めることが内定していました。

その頃、高校時代から通っていた福井県の山内整骨院に、野球をやめる報告に行き、同時に診察も受けました。
そこで、肩の関節がずれていることを告げられ施術を受けたところ、右肩が上がるようになったのです。
再び投げることができるようになったため、安河内投手は野球を続けることに決めました。

企業の内定を辞退し、東京の世田谷学園で嘱託職員として働きながら、野球部員たちと一緒にトレーニングを積みました。
チームには所属せず、トレーニングを続けて2016年のプロテストに臨みましたが、合格には至りませんでした。
2年目は新設の社会人チームに移りましたが、考えていた環境とは大きく異なっていたため退社しました。

そのような状況で2017年のプロテストを受けましたが、またしても不合格。
それでもあきらめず、BCリーグ(独立リーグ)の武蔵ヒートベアーズのトライアウトを受験して合格。
そして、入団することになりました。

BCリーグでの初登板は、大学2年以来となる、5年ぶりの実戦登板でもありました。
リリーフとして登板した安河内投手は、この試合で自己最速となる150km/hの投球をしました。

大学時代のMAXが146kmであったのに対し、ブランクを挟んでその球速は4kmも速くなっていました。

その後もリリーフとして起用され、シーズンではMAX151kmも記録。
これに加えて、スライダー、カットボール、カーブ、シンカーと複数の変化球を操りました。
シーズンを通して、38試合38登板、防御率2.37、1勝0敗6sの成績を残しました。

BCリーグなどの独立リーグは、社会人野球に比べてレベルで劣ると、プロ野球のスカウトからは評価されています。

安河内投手は、大学社会人と同等の扱いとなり、求められるのは即戦力としての能力でした。
その要求に応えるためには、BCリーグで圧倒的な成績を残すことが不可欠だったのです。

ドラフト候補として注目されていた安河内投手は、満を持して2018年のドラフト会議での指名を待ちました。

しかし、安河内投手を指名する球団はなく、ドラフト会議も終わってしまいました。

ブランクからシーズンを通して戦う体力まだ乏しかったのか、シーズン終盤に球威が落ちてしまったことが、プロのスカウトからの評価を下げた要因と推測されています。

クラウドファンディングでメジャー挑戦とは?

ドラフトでの指名漏れに落胆していた安河内投手でしたが、周囲はアメリカ・メジャーリーグへの挑戦を勧めました。

安河内投手は武蔵ヒートベアーズを退団して、メジャー挑戦を決めました。
この時同時に、元アナウンサーの上田まりえ氏と出会いました。

上田まりえ氏はスポーツマネジメント会社を起ち上げており、安河内投手はこの会社の契約第1号アスリートとなりました。

現在は、上田氏の会社のサポートを受けながら、クラウドファンディングやスポンサーを募るなどして、メジャー挑戦の資金を集めているようです。

クラウドファンディング(英語: Crowdfunding)とは、不特定多数の人が通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを指す、群衆crowd)と資金調達funding)を組み合わせた造語である。ソーシャルファンディングとも呼ばれる

引用元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

安河内投手はこの挑戦の一部として、ブログも開設しています。
『オレが安河内だ。』というタイトルのこのブログでは、安河内投手がメジャー挑戦する理由や、その経緯などについて語られています。

オレが安河内だ。

ブログのタイトルの下には、『YASUKOUCHI CHALLENGE PROJECT』と共に、『supported by DO STRAIGHT』と記載されており、上田氏の会社のサポートがあることが分かります。

まとめ

安河内投手は、武蔵ヒートベアーズ時代に集客に貢献しようと、その個性をアピールすることもありました。

ご本人もプロとして、観客から愛される選手になることを目標としており、挑戦をサポートしている上田氏も、こうした安河内投手の個性や発信力にも注目したのではないかと感じます。

日本球界を経由することなく、メジャーリーグのレッドソックスやマーリンズで活躍している田澤投手の前例もあります。

さらに、メジャーリーグのレジェンド投手である、ランディ・ジョンソン氏が活躍し始めたのは20代の後半に入ってからで、キャリアハイの成績を残したのは39歳の頃です。

様々な障害を乗り越えて成功を掴んだ前例があり、安河内投手の挑戦もそういうものになればと願います。

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